2月28日(その3)LAXからリバーサイドシティへ

*** '98年2月28日 晴れ ***
   (つづき)
LAX(ロサンゼルス空港)に着いたのは10時50分ごろ。
入国審査を受け荷物を受け取り、税関を通り、到着ロビーで永原さんと
会えたのはそれから1時間以上もたってからであった。

LAは晴れていて空は青かった。
この空港に来るのは2年ぶり。
前回は新婚旅行の時であった。

永原さんが借りていた車はV8、5400ccエンジン搭載のフォードのバンであった。
フルサイズのバイクが4台程詰めそうな大きさである。
バンには運転席と助手席があったが、後部座席がなかった。
時差ぼけで体調不良の僕はバンの荷室で寝転がった。

空港の近くのBudgetレンタカーの前に永原さんはDRを
止めているということなのでまずそれを回収しに行った。

照りつける日射しが痛い。
僕はバックからサングラスとキャップをとりだした。

間もなくしてBudgetの前に着き、路駐してあったDRを
3人掛かりで抱え上げバンの荷室に押し込んだ。
ラダーレールがなかったので人海戦術である。

バイクの固定をどうしようか悩んだが、日本から何故かロープを
持ってきていることを思い出し、こいつで固定した。

永原さんはサンバーナジーノのモーテルに荷物を預けてあるのでそれを回収しにいく。
その後はリバーサイドへ向かいマルコムスミスのショップによった後
リバーサイドの郊外にあるプロテックへバイクを借りにいくことにした。

幾つかフリーウェイを乗り継いでR10を東に進路をとりサンバーナジーノに向かう。
道端にある看板は絵や写真の多い日本のそれとは違い、
カラフルな文字だけの看板が目立つ。
ラジオからは英語の歌が聞こえてくる。
う〜ん、まさにUSAという感じ。

車窓から見えるのは見覚えのある日本車ばかりであった。
これほどにまで多いと米国が日本車バッシングしたくなるのも
判らないでもない。
ロサンゼルスから離れていくに連れて高年式の車が多くなる。
日本では解体屋でしか見かけないような怪しげな車も増えてきた。

僕は時差ぼけのためか何度か荷室にひっくり返って眠ってしまった。
主宰は助手席でうたた寝。
永原さんは黙々とバンを走らせる。

やがて車はサンバーナジーノにつく。
フリーウェイを降り、市街地へはいって行き、2階建ての建物の真中に車を止めた。
2階の通路では2人の黒人男性が立ち話をしている。
モーテル6。
そこが永原さんが滞在していたところであった。
この辺で一番安いモーテルらしい。
全米にチェーンがあるという。

しばらくすると1Fの部屋から永原さんが荷物を持って出てきた。
車に積み込む。結構な量だ。
これが全てバイクに乗るのかと思うと少し驚いた。
チェックアウトを済ませ、リバーサイドに車は向かった。