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2002年11月22日 帝京平成短期大学 看護学科1年生 250名を対象に 社会福祉論授業 で私(倉田)が 講師 をさせて頂きました

講  義  風  景  ♪
会場は とても 微笑み あふれてました ☆

快く対話☆して頂き 可愛く♪ お答えして頂きました ☆ミ

感 謝

以下は受講生の皆さんの御感想です ☆

打ち込み協力 JEF さん

今まで何回か障碍の人の講師のお話を聞かせてもらいましたが、今回の話しが一番良く、興味深かったです。私は今まで何回かボランティアをしてきました。しかし、倉田さんがお話していたように、それは1回限りのつきあいだったと思います。障碍のある人も皆と一緒なのだと頭の中ではわかっていても、なかなか態度で示すことができませんでした。平等に接するこそ、障碍の方の人権を尊重できるのだと思います。ありがとうございました。

今日 すばらしい お話しを聞くことができて、とても良かったです。体が不自由でも、一生懸命に頑張っている姿が印象的でした。 私も看護師になれるように、もっともっと努力する必要があると思いました。障碍の人の講師の授業は とても良い勉強になります。 金曜日で5限目なので眠くなってしまいがちな 私ですが、倉田さんのお話しを聞けて とても集中してられました。それは自分にとってとても重要な事で、学ぶことができるからです。皆もそう思ってます 大学で このような授業を沢山増やして欲しいです 倉田さん本当にどうもありがとうございました。

●福祉=幸せ・医療=命。『自分の命を大事にすること、自分を知ることができる。だから他人のこともそうできるんだ。』私もそう思いました。”幸せ”って何だろうって考えてみました。生まれてから死ぬまでの道が決まっている私達、だけど”生きている”ってことはすごく幸せなんだと思います。命があるから様々なことを経験して感じることができるし、夢をおいかけることができます。だから、今の私がいるわけで。あたり前の生活がどれだけ幸せで恵まれているか あらためて感じました。忘れちゃダメですよね! ●健康な人の側にも心のバリア=心の障害とおっしゃっていました。本当にそうだと思います。差別的な偏見をもつのは、はずかしいこと! ●今までの障碍の人の講師の中で 一番勉強になりました 倉田さんを今後たくさん講師として呼んで欲しいです

今回は「相手を大切にする」といことについて私は学べたと思います。中でも、キンジスで亡くなられた方の話の中で、「電話の問い合わせができなくてごめんなさい。」って死ぬ前に言われたことに本当すごいと思いました。看護職を目指す私としては みならって、ここまで相手に対して気持ちもって接したいと改めて心に決めました。他にも「命がなければ幸せも感じられない」これは確かです。辛いこと、いやなことは多いけど 幸せだと感じれることもあります。これは命(自分の意志)がなくては思えないことです。「自分を大切にすること=人を大切にすること」自分がわかっていなくては、人のことはわからないと思います。いつでも相手の身になって考えることは大切です。人によって考え方、感じ方は違いますが、100%相手の気持ちになるのはその人と同じ体験をしなくてはわからないかもしれませんが、100%に近い気持ちになれるよう相手の話をよく聞き、考えていきたいと思いました。色々な言葉に色々なことを考えさせられました。こういった考える機会(人の話を聞く)が減っている気がするので、今回 倉田さんから良い話し=刺激になりました。また倉田さんを講師として呼んでほしいです。

倉田知典さんに私はすごい良い心のパワーを感じました。 障碍を持って産まれ9歳までは寝たきりだったというのにも関わらず、現在こんなにも元気な声を出し、楽しそうに話をしている倉田さんは なんだかとても障碍を持っているようには見えませんでした。身体にどんな障碍があろうとも私たちは みな同じ人間で、同じ生活をしているのが当り前なはずです。健常と言われている人だってケガや病気をしている時は体が不自由になってしまう時期はあるのに、それでもその期間は特に障碍者と呼ばれることもなく、普通どおりにみんなに接してもらえます。一般的に障碍者と呼ばれる人たちは、ただ たんに その期間が長いというだけで、何も呼び方を付けたりする必要はないのではないでしょうか!。養護学校を特別に創ったり、職場が限られたり、そんな必要もないのだと思います。ただ共に生活する上で、多少の障害が会話であったり移動であったり、出てくるかもしれません。しかし、そんな ささいな問題など ほんの少しの支え合いや思いやりの気持ちを持つだけで解決できるはずです。要は私たちそれぞれ心の持ちようだと 倉田さんの話しから深く気付き思いました。倉田さんが私たちと共に生活することが何の違和感のない世の中にしていきたいです。そのためにもっと進んで障碍者の人たちと接し、和解し、いろんなことを共感し合っていくことが大切だと思いました。

今日の講義を聞いたあと、まず最初に思ったことが、「ああ、障碍を持った人も心が普通の人なんだなあ」ということです。本当に今まで私自身 区別してて申し訳ないと思ってしまいました。今、思えば、同じ人間なのに 少し見た目がちがっただけで「普通ではない」というふうに考えるだなんて、改めて申し訳ないと感じました。障碍を持った人は私達と同じ考えで無かったり、感じ方が違うだなんて、いつ、誰が どうして決めつけてしまったのだろう・・・。私自身 今まで、障碍を持った人と触れ合ったことがなかったからなのだろうと思います。最初はこういう環境を作ってしまった社会に問題があるのではないかと思っていましたが、倉田さんの話しを聞き 今は わたしのように偏見を持った人が多い、つまり皆自分自身に責任があり そして そういう社会になってしまったのだろうと思うようになりました。健常者も障碍を持ってしまっている人も、同じ社会で普通にふれ合えるようになってほしいです。障害も異常ではなく、その人の特徴なんだとみんなが胸をはって言える社会になっていくことは当たり前で、私たちはそうなるように促がすことが役目なんじゃないかと思っています。 本当に今までの考え方が 180゜変わる、ためになる講義をして いただいてありがとうございました。

私は、障害をもった人の話をきちんと目の前で聞くのは初めてでした。小学生のとき、障害をもった子がいて、時々、私のクラスに来てました。そのとき、私は初めて障害者と接して、初めはどうしていいかわからなくて、困っていました。でも先生に、「ふつうに接すればいいよ」と言われて、みんなと同じように接してみて、仲良くなることができました。その子も私に近づいてくれるようになり、クラスの中では私にいつもくっついているほどになりました。その子はすごく恥ずかしがりやで、ほとんど話すことはなかったけれど、表情やしぐさで、何がしたいのかとか、何を思っているのかが わかりました。障害をもっていても、心は同じ人間なんだから、境界線をひいてしまうような考えをすることはよくないと思いました。また今度倉田さんのお話を聞いてみたいです。

倉田さんのお話を聞いて考えたこと・感じたことは、障害を持っている人達と障害を持っていない人達が友達になる難しさです(実際、私も友人にいません。) 今、小学校、中学校などに、重い障害のある方はいません。そのことで、接したり、出会う機会があまりないといえます。でもそれ以上にみんな(障害の有無関係なく)の意識の問題があるのではないかと思いました。おそらく、ほとんどの障害を持っていない人達は、障害を持っている人に対して 構えてしまう所があると思います。日常生活(食事。会話etc)のなかで できないことがある人に対して、無意識的に「自分が力をかさなくては。」という気持ちを過剰に持っていると思います。そのことにより、障害のない人と接する時より壁が高くなってしまったり、気をつかっていたりしてしまうのではないかと思います。以前、TV番組で重い障害を持っている方が結婚する時までのエピソードを話していました。その話とは、障害のことを隠してインターネットのメールで知り合った女性と交際し、結婚を申し込んだというものでした(相手の女性は、障害を知っても彼と結婚しました) 障害を持っていた彼は「相手の女性にプロポーズするということは、介護して下さい と言うのと同じことだ。」と言っていました。その時、障害を持っている人も壁を感じていて、障害のことをマイナスな意味で すごく意識している部分があると思いました(私の印象です。) 私は、このような意識を持っている人同士が友達になろうとしたら。壁は2倍にも3倍にもなってしまうということに気付きました。でも、みんなが(障害の有無関係なく)今持っている意識を変えることは無限のはずです。実際、倉田さんのように、意識を変え、考え方がみんなと違う人(大変良い意味で)がいるということを知りました。自分をアピールしたり、NPO法人の活動をしたり、おもしろい会話をしたり。そして、皆の気持ちをとてもよくわかっています(講演の中で「皆恥ずかしくて質問に答えられないのかな?!、質問してゴメンネ。」と言っていたことがすごく印象的です。) 倉田さんのような人がいるのに、みんな(障害の有無関係なし)は このままでいいのかなあ? 何も心=意識変えないのかなあ? と思いました。なぜなら、もし自分も、倉田さんのように友達を作るために、自分のことを知ってもらうために 名刺を配ったとする。その時になんの反応も返ってこなかったら すごく悲しくなる。そして、自分に対する みんなの考えや自分に対しての第1印象に対する壁をなくしたいと思う(でもどうしたらいいのかわからないけど) みんながもっと全ての人に対して興味を持ち、相手の性格、口ぐせ、趣味etc、いろいろなことを理解し、共感し、認めていくことができたら、もっともっと友達の輪が広がって楽しい世界になると思います。辛いことや暗いニュースも吹き飛ばせるような楽しい輪ができればいいなあと思います。

「人は悩む質は異なるけど悩む量は同じである」健常者であっても、障害者であっても。みんな悩むことがあるという、この言葉は今の私にとって、一番心に染みました。私も今、人生最大級に悩んでいるから。進路&人間関係で。私が将来、ナースになれたら、この言葉をたくさんの悩んでいる患者さんに伝えたい。

身体に障害のある方の話をきく機会はないので、ためになりました。普段、どういうことを思っているのか気にしたことがなかったので、初めてきいておどろくこともありました。倉田さんの講義また沢山聞きたいです

私の兄も障害を持っているので、養護学校を卒業し就職したときの難しさがよくわかります。兄が就職した時に『常識がない』なんて職場の人に言われ、すごく私はショックでした。社会人になるまで養護学校という限られた世界でしか過ごせなかったのに、それをわかってもらえない、こんなに悔しく、悲しいことはないと思いました。そして「ボランティアの人たちと知り合っても1回切りだ」という言葉に私は胸が痛みました。私は中学・高校生の時、休み(春休み・夏休み)を利用して、近所のデイケアセンターへボランティアに行っていました。確かに私の他にもボランティアだと言って来た人が、3日たったら来なくなってしまった人も何人も居ました。その時はあまり気に掛けなかったけれど、ボランティアを行う側の無責任さや勝手さで、人の心を傷つけるなんて どうしようもなく思うし、それに気づけなかった自分も情けなく思いました ボランティアで無く友達が大切ですね そして、やはり障害者当事者から見た現実と私が見ている(見えている)現実とは、かなり差があるのではと感じた。これから一部 障害者福祉のシステムが変わるけれど、どうなのだろうか。確かに、施設から在宅へ移行していくのは良いことだと思う 今回のお話しを聞いてみて、介助される、する側の隔たりのない、人と人との心のつながりが 今後より深まれば良いなと思う。

私の友人の弟が障害者です。始めて会った時は、しょうじき、とまどってしまいました。でも、その後、何回も遊ぶうちに、障害者ということを忘れていました。倉田さんにあって、ふと、忘れてたのを思いだしたというかんじです。これは、悪い意味ではありません。その子は私の弟と同じ年れい(今、高2)、友人の弟であるとともに私の弟の友人にもなり、家族ぐるみで仲がよく、そんなことは忘れてしまう位、仲が本当にいいからです。本当に、私の弟と何もかわりはないです。言語に障害がありますが、何をいいたいのか気持ちはすぐ伝わるから、ふべんなことはありません。先週の日曜も、私に焼きそばを作ってくれました。私の友人(障害者の弟をもつ)は、自分の弟が障害者だということを、けしてはずかしく思っておらず、どうどうとしていました。私もそんな友人がとてもすきでした。私、留年してるのですが、去年、その友人は同じ学校に一緒に入学したのですが、他の道をみつけ、今は学校にいませんが、今でも仲良しです。障害者だということを倉田さんもどうどうと表現し、私たちに思いを伝えてきてくれました。私の友人の弟もそうでした。障害者はみなかわいそうだとか、こわいとかそうではなく、私たちと同じで、わがままな人もいれば、とてもやさしい人もいるし、涙もろい人もいるし、本当に私たちと変わらないです。好きな人は好き、私と性格が合わなかった人もいますが(小さい頃、近所にふたごの障害者の子がいて、お兄ちゃんの方は、私の本とか色々なものを勝手にもっていっちゃったり、泣かされたこともあったからです)、でも、皆、心に傷をもっていました。そのお兄ちゃんも、最近はあっていませんが、私が高校生の時は、駅までむかえにきてくれて、一緒に手をつないでかえりました。何をいいたいのか、うまくまとまらないけど、倉田さんがこれから幸せですごせるように、応援したいと思いました。今日は倉田さん、お話ありがとうございました。これからも障害者の方々とふれあっていこうと思います。

倉田さんの話を聞いて、元気が出てきたし、やる気も出てきました。今まで、自分には何の取り得もないし、何もできないと思っていました。それに、何もやる気がなく、ハリのない生活を送っていました。だけど、自分は十分ぜいたくしているのだと改めて教えられました。五体満足で生まれてきたのに、何も考えず、ノホホーンと生活している自分が恥ずかしく思いました。ダメで元々、いろいろな事を経験していきたいと思ったし、今までは失敗を恐れていたけど、失敗してもいいから いろんな事に取り組んでいきたいと、とても思いました。看護という道を目指しているので、NPO活動も経験したりして、たくさんの人とコミュニケーションをとって、自分にとってもプラスになっていけるようにしたいと強く思いました。

倉田さんは、ボランティアはその場限りの関係だと言っていた。私も そう思った。その場では仲良く話をしたり遊んだりしているけれど、終わったら「またね」とか言って、結局 そのままになってしまっていると思った。私も障害をもっている人と友だちになれるかと聞かれると とまどってしまうかもしれない。私の家族には障害者がいるけど、いて あたりまえの存在だし、仲もいいし、いっしょに遊びにもいく。それは別になんの抵抗もないけど、他の障害者の人をみると、仲良くなれるか わからない。だけど、今度からは、どんな人とも仲良くなりたい(ボランティアで無く友達になりたい)。看護師になっても、倉田さんが いっていたように「気さくな」看護師になりたいなと思った。いろいろな人をみて、いろいろな友だちをつくりたいと思う。

今まで生まれてきた命のありがたさを実感することがなく、たんたんと日々をすごしてきました。今、現在私がいるのは、産んでくれた両親のおかげであり、その命を落とすことなく、自分一人のものだけでないことが分かった。今日は命のあり方を考えさせられるとともに、これからの生き方について考えたいと思いました。すばらしい話をありがとうございました。

命って何だろう 昔、繰り返し繰り返し考えたことがありました。幸せって何だろう 何もせず、ひたすら幸せを追い求めたことがありました。でも、幸せって命があってこそ存在するものですよね。倉田さんの話を聞いていて痛感しました。

最近学校がつらくて、私はすごくついていない人間なんだって思う事が多くなってました。でも、倉田さんの話を聞いて、ついていないって思う事は間違っている事だと思いました。障害者に生まれた倉田さんがこんなにがんばって暮らしているのに、私はがんばりもしないでやめたいとか、死にたいとか、あきらめた生活を送っていることがとても恥ずかしく感じました。五体満足に生まれただけでとても幸せな事なんだなあと思いました。私たちは、あたり前のように過ごしているけれど、こうしてあたり前のようにすごせることが幸せなんだなって思いました。倉田さんの話しは、とても興味を持って聞きました。面白い話しで、おもわず笑ってしまった時も多々ありました。

「障害者」というだけで、私は嫌なイメージしか無かったけど、倉田さんの話を聞いて、とても良いイメージになりました もっと色々知りたいと思いました。障害を持っているから、かわいそうだとか思いがちで、また特別視したり、差別したりする傾向があるけど、健常者も障害者も同じ人間であることには変わりはないと とても気付きました。

福祉とは幸せという意味で、幸せは命がないと なれず、幸せは 人の命を大事にすることによって なれる と言われ、私はこれから看護師という職業になりたいと考えていて、改めて人の命を大事にしていきたいと思った。そして、命を1人でも助けていき、1人でも多くの人を幸せにしていきたいと思った。

肢体不自由という障害を持っている人が”友人作り”をテーマに活動しているとは知らなかった。健常者も障害者も同じ”人”なのだから仲間が欲しい、友人が欲しいという気持ちは当たり前のこと。健常者よりも障害者の方が友人作りが難しいのは理解できるような気がするので、倉田さんにたくさんの友人ができればいいと思った。私は障害を持っている人でも、人として尊敬できるような人であれば友達になりたいと思う。

私は倉田さんの話を聞いてみて感じたことは、私達の目線とは全然違う目線で物事を見て、聞いて、考えて、感じているんだなあと感じました。それは、ただ単に障害を持って生活をしているからではなく、そのことでいろいろと苦労をして悩んできたからこそ、私とは全然違う考えができるのだと思いました。「形は違っても悩む量は変わらない」と倉田さんは言っていましたが、普通だったらやはり大変な分だけ悩む量は多いだろうと感じてしまうのに、そういうふうに考えない倉田さんにとても感心しました。そして「自分の命を大事にするということは、人の命を大事にすることだと思う」といっていた倉田さんに共感を持ちました。また、筋ジストロフィーで残念ながら亡くなられた方は最後まで自分の事ではなく、人の事を考えていたと言っていましたが、その方はとても優しい方だったんだなあと感じました。倉田さんはとても気さくな方で、しっかりと物事を考えている方だなあと感じました。とても勉強になった話しだと思います。ありがとうございました。

倉田さんのお話の中で、「相手の意見はありがたい」と言っていましたが、私は まだそこまで思える程、成長していないと思いました。自分の思っていたこと、考えていたことを否定されたり、相手から愚痴を言われれば、やはり、気持ちの良いものではないと思う。しかし、そう思ってしまうのでなく、沢山の人の意見に耳を傾け、色々な考えや思いがあるということを私自身理解し、その沢山の人の意見を聞けるという環境に自分がいるということ、また、聞けることのありがたさを感じていければいいと思いました。

私が思う幸せは今、ここにいること、色々な人と出会って、一緒に悩んだり笑ったりしている時が幸せだと感じます。 私の知り合いでも、最近 交通事故で死んでしまった人がいます。その人は、運転席(自分)のとなりに座っていた弟を助けるために、自分の方にぶつかるようにしてよけたため、なくなってしまいました。そのおかげで弟はほとんどむきずでした。その話を聞いて、すごいなって思いました。自分よりも弟を助けるなんて、思うことは出来ても実行出来る人は少ないと思うし、死ぬまで人のことを考えられることに感心(すごい)しました。私も死ぬ前に人のことを考えることは出来ない。まねできないと思いました。今日は、とても大切なお話しが聞けました。ありがとうございます

「命があるから幸せを感じられる」という言葉がとても心に残った。毎日なにげなく生きている自分にとって、命があるということがどんなに幸せで、恵まれていることなのかを改めて教えてもらった。最近は毎日の生活の中で、苦しいこととか嫌なこと、つらいことがとても多く、幸せを感じることが少ないため、何のために生きているんだろう...と考えていたことがあったが、そんな自分がちっぽけに思えた。生きているから幸せを感じることができるんだと思うと、今苦しいことやつらいことがあっても、頑張れば、生きていれば幸せを感じることもできるんだと思え、頑張っていくことができる。今の自分に、とてもプラスになるお話が聞けてとても良かった。もっと「命がある」ということに感謝する気持ちをしっかり持って、毎日の生活を大事にしていこうと思う。

私は、倉田さんが「障害者の友人をもっている人」と 私たちに質問した時に、数百人以上もいるはずなのに たった1、2人しか手上げられなくて、また私たちはボランティアや学校の行事という その場限りの出会いしかない、普段 障害者の人達と接することもないなあと思いました。養護学校と健康な人が行く学校に、境界線みたいなものがあるのかな?と思いました。 障害の話だけでなく「福祉とは何か」「幸せとは何か」など、気に止めたことがないことまで話してくれて、私も考えることができました。私は、倉田さんはすごく気をつかわれる人だなあー、と思いました。良い人ですね

私も、「しあわせ」ってどういうことなんだろうと思ったことがありました。今日倉田さんが話して下さったこと、人とのつながりがあって、その中にささいな「しあわせ」が沢山あるということ、その通りだなあと思いました。ささいなことでも、しあわせは沢山あるのに、それに気づけない。友達と笑いあえること、勉強ができること、命があること、それを一つ一つありがたいことだと思って生きていけば、もっと前向きになれるような気がします。 倉田さんは本当に素晴らしい方だと思いました。とても大切なことを教えて頂いたように思います。もちろん悩みはあると思うけど、自分に胸を張って、すごく生き生きとしていて、私もそんな風に自分の命を大切にして、人の命を大事にしていける看護婦になりたいです。

高校を卒業して就職もできず、友達もできなかった、と言っていて、そんな生活、私には考えられないと思いました。それと仲間、友達がほしい、その場だけ仲良くするような”ボランティア”ということに疑問をもち、ウィズ エブリワンという団体をつくるというのはすごいと思った。友達が障害者のボランティアにはちゃんとしゃべれる人しか行けないんだよ、と言っていた。それも変なことだなと思った。あと倉田さんは看護師とちゃんといっていたし、福祉とは幸せにするということを言っていたし、私はごかいしていたけど、肢体不自由の方は私達より いろんな知識を実はもっているもんなんだなあと思った。よいお話でした。

とても楽しかったです。名刺の絵やプリントに載っている絵、とてもかわいいです。筋ジストロフィーで亡くなった方が、最後まで他人のコトを考えていたというお話をきいて、すごいなあと思いました。私だったら、きっと他人のコトを考えている余裕はないと思います。また、つらくあたってしまうと思います。倉田さんはとても若くみえて、とても32才にみえなくてビックリしました。 今度、遊びに行きます。

障碍を持つ人、持たない人という枠を取り払い、互いに対等で個性ある人として尊重し、楽しみ支え合える友達づくりを進めていると聞いて、障碍を持っているからといって、同情するのではなく1人の人間として個性ある人として付き合っていかないといけないと思った。

私は姉が障害者です。倉田さんと同じ肢体不自由の重度障害者です。姉は知能にも障害があるので、倉田さんのように自分から積極的に会を発足させたりという活動はしたことがありません。 倉田さんのおっしゃった「人と本気で付き合うこと」という言葉は、自分も改めて考え直さなければならないと思わせてくれました。ハンディを背負っているぶん、私たちよりもはるかに多くのことを思い、感じとっているんだと思いました。改めて、姉や障害者の方々のことをよく考え、少しでもそのような立場の人々の心を知っていこうと思いました。

今は昔よりも障害者の方にとって生きやすくなってきているけど、それでもまだ少し体が動かないだけで生活するのが困難だと思う。 けど、人との出会いを大切にしたいと言っていたのが心に残った。

障害者の人たちとの交流はしたことがないけれど、今後 したいと考え直しました。倉田さんは、「ウィズ エブリワン」という団体の理事長とかやっていたり、たくさんの賞をもらっていたり、障害者とは思えないぐらいです。障害者の人たちは、私たち以上に強い人間だと感じました。たくさんの健常者のたすけを得ていると思うけど、でも、スゴイと思った。障害者の人たちというのは、死が早まったり、体がうまく動かせなかったり、うまく話せなかったりと、すごく大変だと思う。でも、かわいそうとか思ってはいけないと思いました。同じ人間として、感情も一緒だと実感したからです。 私が看護師になったとき、この考えを忘れないようにしたいデス。

最近、心がなくなりかけた。「人の痛みを理解しようとする」気持ちを心にとり戻せたような気がする。あまりにも普通に過ごせていて、すごく欲深く、わがままになっていた自分が恥ずかしくなった。健常者だからこそ、もっともっと人の役に立てることをしていこうと思った。

ボランティアを今までしたことがなかったけど、考えさせられました。倉田さんはボランティアに疑問をもっていて、ただ”友達が欲しい”と言っていた。私は今までボランティアという言葉をただなんとなく使って、あまり深い意味を持とうとしていなかった。そういう感情を抱いていることを気づけるようになりたいと思う。

今日は、倉田さんの色々な話、楽しかったこと、つらかったことなどが聞け、考えさせられることがたくさんありました。今日は、本当にありがとうございました。

今日のお話を聞いて、私は自分の命を大切にしようと思いました。そして、これからは健常者の人だけでなく、いろんな人とかかわってみようと思いました。

中学の頃、同じ学校に障害を持った人がいました。その人は、私たちと変わりない学校生活を送っていました。朝学校にきて、授業を受け、休み時間は友達と過ごし、昼食もみんなと食べていた。その人は、男子で、私は関わりがなかったので、廊下などですれ違った時は、いつも違う目で見ていた気がします。今思うと、みんな一緒に同じように生活していたのに、なんで違う目でみていたんだろう...と思いました。今回話を聞いて、障害を持った人も違う目でみることなく、健常者と同じように接していかなければいけないなあ...と思いました。

生まれた時から両手が使えないというのは、逆にいいのかもしれません。手を使うことを知らないのだから、不自由と本人は感じていないだろうし、むしろ普通(あたりまえ)と考えていると思います。足で絵を書くことは、私たち(手が使える人)にはとてもむずかしいコトだけれど、足だけで生きてきた人にとっては、おちゃのこさいさい!だろうし、逆に少し自慢だと思う。一般の人ができないことを難なくこなすその技は神様からもらった特別なものだと思う。これからもそんな自分を大切にしてほしい。

幸せとは何かと質もんされた時、私は頭の中で考えたが、答えがみつかりませんでした。今日のこうえんを聞いて、生きているとは?自分とは?など、深く考えさせられました。

今回の講義を聞いて、看護婦のあり方というか、いろいろなことが学べた。特に「自分を大事にしなければ相手も大事にできないこと、いかに相手の気持ちに近づけるかが幸せの条件でもあり、白衣の天使になる条件である」「欲があっては×、グチを言われても自分の心を磨いてくれていると思いなさい」という話はとても印象深かった。他にも、コミュニケーションが苦手な私には「あいさつ」から始めることや、対等に話しをするということはとても勉強になった。

最初、教室に車椅子に乗った倉田さんが入ってきて おどろきました。そして、倉田さんの明るさにおどろきました。とても気さくな方で、声だけ聞いていると、健常者と変わらないと思いました。また、話の中で看護婦じゃなく、看護師と言ってくれてうれしかったです。倉田さんの第一印象は明るくて、とても強く、しっかりしている方だと思いました。ありがとうございます。

福祉とは何かという質問に私は答えられません。倉田さんは人の事を思う気持ちを持ちたいと言っていましたが、私は看護師を目指しているにもかかわらず、そのような気持ちに欠けていると思いました。常に自分を考えている気がします。相手を思いやれる気持ちをこれから少しでも持てたらいいなと思いました。 自分が死ぬ時、大勢の人がそうぎに来てくれたら私は大変幸せだと思います。倉田さん、これからも活動がんばって下さいね。

私も時々、自分の人生について考える時がある。おじいさんが死んでから、特に考えるようになったと思う。どうせ死ぬんだから生きていてもしょうがないと思うこともあった。しかし、いろんな人に触れあい、こんな私でも助けてくれる人がいることに気付き、考えを改めるようになった。また、自分を必要としている人が1人でもいるかもしれないとプラス思考に考えるようになった。生きていることがバカらしいと思うことが、今後あるかもしれない。しかし、周りの人にしてもらったことを思い出していこうと思う。今日の講えんを聞いて、いろいろ考えさせられました。

幸せってなんだろう?生きるってなんだろう?ふだん考えもしないようなことを問いかけられ、ハッとした。倉田さんの話を聞いていて、差別するような言い方になっちゃうけど、私たちより全然いろいろなことを考えているし、人生が濃厚なような気がする。願っていることはみんな同じなんだなあと思った。

倉田さんは両腕が使えないというのがわからないくらい、元気な人なんだと思いました。でも、きっと私の想像もつかないくらいの苦労をなされてきたのだろうなと思います。今日は倉田さんのお話がきけ、とてもよかったです。

倉田さんが話しているのを見て、体が不自由だと大変だなと思った(同情とかではなくて)。でも、とても一生懸命話していて、なんだかすごいなと思った。しっかりと自分の意見を持っているし。倉田さんが、私たちと同じくらいの歳の時、「いるところがなかった」「友達がいなかった」「青春時代なのに...」という言葉に心を打たれた。なんだか切なかった。 障害を持っている人は、少なくとも一度くらいは、こういうことを感じたりしたことがあると思う。もっと周りの人が理解し、受け入れることが必要だと思った。そして、障害者だから、自分の居場所がないなどと感じさせないような環境を作っていくことが理想だと思います。

未熟児で生まれたために手が使えないという障碍を実は初めて聞きました。その障碍の中で倉田さんは、そう思わせないパワーというか.そのようなものを持っている方だと思いました。9才までは寝たきりで、友達もいなく、寂しい生活を送ってきて、その後、友達が作りたいと思って立ちあげた活動が、これほどまでになるなんて、おどろきました。五体不満足ながらも、いろいろな活動をしたり、ある時は講師をしたり、健常者だと思うくらいです。むしろ健常者なのでは...。筋ジストロフィーの話をなさっていましたが、その病気ではないのですが、ALSの病気にかかっている方が私の知り合いの母にいます。なので、その辛さなど、少しはわかります。また、私の母はホームヘルパーをしているので、福祉に関しては興味があり、いつも母から介護している方の話を聞かせてもらい、勉強になっています。倉田さんが言っていたこと「もし医者などに怒られても、自分を磨いてもらってるんだと思えばいい」という言葉がすごく心に残り、そうだと思いました。もし、そういう機会があったらそう思うようにしていきたいです。いろいろ勉強になるお話、ありがとうございました。

幼い時のツライ話や楽しい話をしてくれてありがとうございました。話を聞けて、とても勉強になりました。

今回、お話しを聞いて、命の大切さについて、とてもよくわかりました。 私の周りには障害者の人がいないので、このような話が聞けて、とてもきちょうな体験ができてよかったです。

今日は貴重なお話しをありがとうございました 私は、これからは人との出会いを大切にし、その一瞬一瞬を大事にしたいと思いました。相手を思いやり、大切にしたいと心から思いました。

健常者と障害者が触れあう機会は 世間一般的に少な過ぎると思います。人付き合いするためには、倉田さんが言うように、自分を知ってもらうのではなく、相手を知るという気持ちが大切だと思います。私も今度、実行してみたいです。そして子供や様々な年代の方と接する時に、その年代の間で はやっていることを事前に勉強し、少しでもたくさんの話題を持ってふれあいたいです。

本当の幸せとはどんなものか?あまりじっくり考えたこともなかったけれど「自分を大切にするということは他人も大切にできるということ」というのを聞いて、その通りだなあと思いました。障害での事をいろいろ聞かせてもらって、とてもいろいろ考えることが多かったと思います。

過去は友達がいなくて辛かったと思うけど、それをのりこえて 今はすごいと思った。デザイナーもしていて すごいと感じました。足でパソコンをうつのはとても大変ですごいことだと思った。とても感動しました。

倉田さんのお話しを聞けてよかったです。看護師として大切な事が聞けてよくわかりました。お話しを聞いて納得いくことばかりでした。倉田さんからいろんな事を教えていただきました。倉田さんは気さくな看護師が必要とおっしゃってましたが、私もそう思います。なので、私もそういう看護師になれるようにがんばりたいです。

あらためて、私が何で看護師になろうと思ったか、考えさせられました。今まで学校で授業を受け、演習で実技の練習をしたりしていて、私は看護師に向いていないのではないか...?と思うことが何度もありました。でも、今もこの学校で看護師になるために勉強しているのは、私なんかでも、患者さんの役に立つことが出来たり、助けてあげることがしたいと思っているからです。今日、倉田さんが「福祉」とは何か?という話しをしていただいて、幸せであること そして私なりにも考えてみようと思いました。倉田さんは自分の意見も持っているし、行動も起こしているし、本当にすごいと思いました。私も、自分の意志をしっかり持って、看護師になれるようにがんばらないといけないと思います。

倉田さんは、未熟児で生まれ、重度肢体不自由となったのに、今では、ウィズ エブリワンを作って、尊敬してしまいました。 9才までは寝たきりだったのに、友達を作るためにすごくがんばっているのをきくと、応援したくなりました。始めは、十二人でスタートしたのに、今は、百六十人もいるなんてビックリしました。私も倉田さんのように、がんばっていきたいと思いました。

いろいろな質問・意見が とびかい、とても活気のある たのしい講義でした。重度肢体不自由であっても、考え方とかは すばらしく しっかりし、意見もはっきり言えていた ことに私は驚きました。 

普通に生活をおくり、友達を作る、あたりまえのことだと考えていました。しかし、今日の話を聞き、友達とはとても大切だと気づきました。私は、ときには友達と言いあらそいをしたり、一緒にいるのがめんどうに感じたり、でも今日の話を聞いていると、友達がいなけれな感じることのできないことだと思いました。命を大切にするということは、人の命を大切にすることだと語っていました。良い話しでした

倉田さんにとって、障害を持つことによって、多くの物事を考えなければならないことに気づいた。健常者にとって友人を作ることも、働くことは それほど大変でもありません。しかし、体が不自由なことで、健常者よりも壁が高いことに驚いた。そのため、人の苦しさをよく分かることができ、相手を思いやることを本当に知っているのだと思った。 筋ジストロフィーの方は、死ぬ寸前まで皆のために精一杯生き抜き、人の心の幸せに大変取り組んで すばらしい方だととても思いました。私は倉田さんのお話を聞いて、福祉は”幸せ”という意味と知りました。それは、健常者も障害者も等しく 皆を幸せにすることが大切だと より深く感じました。

倉田さんの「生きることが まずは幸せなことです」という言葉が、とても奥深く印象的でした。

普段の生活の中では、あまり接することの少ない障害者の人ですが、私たちが考えてる以上に、苦労を重ねていることが分かった。実際自分で体験しないかぎり分からない事ですが、看護師になることを考えると、真剣に考え理解しようとする気持ちが大切だと思った。自分だけでなく、まわりの人を大切に思わなければいけない。自分をまもるために他人をうらんだり、きずつけたりすることもしてはいけない。

私も盲学校の文化祭の手伝いなどで、ボランティア活動に参加したことがあります。たしかにボランティアをしたあとに、その障害者の方々と交流はありませんでした。それは、私たち健常者が、障害者の方に対して かなり多くの偏見をもっているからだと思います。交流が普段あまりないので、障害を持っている人を特別に見てしまっていました。この学校に入学して、障害を持つ人とは どのような人なのかなどを学び、実際に障害を持つ人と接し、偏見がなくなったと思います。今日は最後におもしろい話しも聞けて良かったです。

「自分のことをわからないのに、相手のことがわかる訳がない」と言っていた言葉が、なぜか胸にキューンときました。あたしにも、こういう所があるから...。 筋ジスで亡くなった方の話をして下さいました。自分がもし明日死ぬ...と言われたら、私は何を思って、どうするのだろう...。絶対に思うことは、「恐い」ということです(私が)。 「命がなければ、幸せは感じません」「自分を大事にしてますか?」「自分の命を大切にすることは、相手の命を大切にすることです」と、あたり前のようなことを言っている気がしたけど、私達人間が一番わかっていないことだと思った。当たり前な基本の気持ちが何よりも大切と気付きました

私もボランティアと言えるかわからないですが、老人ホームに行ったことがありますが、倉田さんがおっしゃっていたように、ボランティアしたら それで終わりみたいな感じだったなと その時のことを思いだしました。 倉田さんは、とにかく友人がほしい、ということをおっしゃっていたのが すごく印象的でした。

倉田さんが話して下さった20歳前半で亡くなってしまった方のお話は感動しました。もし自分がその人と同じ立場だったら、自分がいつ死んでもおかしくない状態で大変な時に、自分の周りの人達の事を考えてあげられる余裕があるか、私は自信がありません。私もその人のように、心の広い、大きな人間になりたいと思いました。

とても考えさせられるお話でした。今まで私自身あたり前となっていた友達の存在がどんなに嬉しく、ありがたいもんだろうと感じました。そして、友達がいないってどんなことなんだろうって考えました。楽しい時に一緒に笑ったり、一緒になにかをやりとげたり、辛い時に話を聞いてもらったり、そういうことを経験できない時期があったという 倉田さんの過去は とても悲しかったのだろうと思いました。福祉とは何かという質問に、私は答えがわかりませんでした。同時に福祉と看護の違いってなんだろうと思いました。私の考える看護は、病気をしている人を治す手助けをするもの、治そうという気をおこさせるための手助けをするものだと思っています。それに対して福祉は体に障害を持った人が楽しく過ごしやすい環境を手助けすることなのかなと感じました。でも倉田さんは幸せ と言ってました 幸せって身近にあるものだと思いました。今を幸せと感じることができることが、本当の幸せなのかなぁと考えます。 倉田さんのお話を聞けてよかったです。 恋人探しがんばって下さい。

今回 倉田さんの話を聞いて、命とは?幸せとは?考えさせられた。自分が死ぬ前に、人の事を考えられるのかな〜と思った。でも、倉田さんの友達ができて感動した。私も、もっと人の為にいろんなことをしてあげたいと思った。いつもされてばかりだから。看護師、福祉のお仕事の本当の大切さが改めてわかった。良いナースになりたいと思った。そして、もっと自分を大事に思って、これからもっと自分をみがいて、人の役に立てる人になりたい!と思いました。

今回の話を聞いて、”相手のことをおもう気持ち”というのは大切なことだ、ということを改めて学んだ。また、友達は大切な存在であり、これからも大切にしていきたい、と思った。話の中で、「自分の命を大切にできる人は、他の人の命も大切にできる」というのを聞き、私もそうだと思った。そのことは、命にかかわる看護という職業にとって、重要なことだと感じた。

倉田さんは、とても明るく楽しい人でした。 障碍者と健常者が対等であって欲しい、という言葉には、倉田さんをはじめとする障碍を持つ人たちの素直な意見なのだ、ということが伝わり、心に残りました。私自身、障碍を持っている人を見ると、「自分とは違う世界の人」というふうに特別な目で見ていました。今回、倉田さんのお話を聞いて、意志が強く、自分をしっかりと持っていると感じ、心は健常者と何も変わらないのだということがよくわかり、特別な目で見ていた自分が、とても恥ずかしく思えました。 私も、倉田さんに負けないくらい自分をしっかりと持てる人になりたいと思いました。

今の生活の中で、私はたくさんの人たちとの出会いがあります。普段通り生活していけば、人との関わりはさけられないものです。私にとってそれが苦痛に感じることもありましたが、今回、倉田さんの話を聞いて、自分がぜいたくな感情を抱いていることに気がつきました。これから先もたくさんの出会いがあると思うので、今日の話を忘れずに、人との触れ合いを大切にしていきたいと思います。

一番印象に残ったのは、過去は「居場所」がなかったと言っていたことです。障害者と言っては失礼かもしれませんが、倉田さんのような人々は、自分から友達を作ろうととても努力しているのが、お話を聞いて、伝わってきました。「居場所」をなくしているのは 私たち自身であり、障害を持っているというだけで、自分の範囲から遠ざけてしまっていたのではないかと思い、振り返りました。 倉田さんも言っていましたが、その場限りのボランティアではなく、その時から、その場から友人という長いつき合いが今の私たちに欠けていると思いました。

高校生の時に、知り合いと一緒に福祉施設に行き、そこで ごはんを食べさせたり、遊んだりしました。そこにいる子は、ほとんどがダウン症の子でした。はじめは、とまどったり、その子が食べているものを口にするっていうことに抵抗があったけれど、とても素直で、心が綺麗で、ピュアで、どんどん ひかれていきました。また いきたいです。 私の友達には、足に障害があるのですが、車イスのバスケクラブで頑張っています。いつも励まされます。

私は、人の事もいろいろと考えてあげられるような人になりたいと思いました。人見知りもなくしてあいさつからでもいいので、いろんな人とかかわってみようと思います。

私は今回の授業を聞いて、身体障害者のへんけんなどについて考えてみた。私は、小さいころからへんけんの社会で過ごしているのではないかと思うのだ。女の子は赤いランドセル、男の子は黒いランドセル、障害者=かわいそうな人などという。へんけん社会の中にいた私は、どこかで、かわいそうだ、などと思っているのだと思う。でも、自分がそのへんけんをやめないことには、次の世代にもへんけんは残ったままになってしまう。身体障害者は、健常者といわれている人と考え方に違いはない、だからこそ、へんけんを少しずつなくしていくことがだいじなのだと思った。

倉田さんは障碍を持って産まれ、9歳までは寝たきりだった、というのにはビックリしました。現在こんなにも元気な声で楽しそうに話をしている姿からは想像もつきませんでした。私は身体に多かれ少なかれ障碍があるというだけで、学校を区別されたり、職場が限られたり、そんなのはおかしいと思います。共に生活するとなると、それは会話であったり、移動であったり多少の障害は生じるかとは思いますが、そんなものは私たちそれぞれの心の持ちようで簡単に解決できるはずです。ほんの少しの支え合いと思いやりを持つだけでいいのです。少しずつ倉田さんのような人たちが、私たちと共に生活することに違和感のない世の中になっていってほしいです。

何があっても楽しく暮らそうとする姿勢がすばらしい。何事も前向きという事を教わった気がしました。

命を大切にする その言葉に胸がつまりました。自分の生き方を見直してみたいと感じました。重度の肢体不自由を持ちつつも、倉田さんはとても明るくてえらいなあと思いました。最後に恋人がほしいという話をしている倉田さんはとても生き生きとしていて、私より若いなあと感じました。 私は早く生きがいというものを人生の中でみつけたいと思いました。

先天性でとても重い障碍をもってしまい、大変だったと思います。もし私だったら、うまれもったものなので、自分ではどうしていいか わからず、やっぱり前向きに考えてないと思うし、色んな活動なんて できないと思う。”障害者の人たちは表面上の友達より、信頼できる友達がほしい!”という言葉に、その通りのことなんだけど あたりまえの事なんだけど 私はなかなか今だ行動出来てません。私も表面上の友達を何人もってても、なんの心の支えにもならないと思う!! たった1人でもいいから親友がほしい。それはどんな人でも同じだとあらためて思いました。

11年前から「ウィズ エブリワン」の活動をしてきて、今年正式にNPO法人が認められたという記事を読んで、すごく努力をして来たんだなあと感じた。「ウィズ エブリワン」の1年間の活動を見ると、交流会がたくさんあって、人々のコミュニケーションをすごく大切にしているんだなあと思ったし、いいことだと思った。「ウィズ エブリワン」の会員が約160人もいて、その理事長をずっとしているなんてすごいな!!と思った。これからもがんばってください。

自分が思っていた以上に、いろんな思いをしているコトを知った。友達の事や、自分の事、世間の事、私が思っている以上、想像以上に すごい話しだった。話し聞けて本とに良かった

倉田さんのプロフィールを見て、色々なことをやってらっしゃるのだなあと思い、関心しました。障害を感じさせないくらいの行動力で、私は今のままでいいのか?と思いました。私も頑張ろうと思いました。今日は倉田さんのお話しを聞くことができ、勉強になりました。ありがとうございました。

倉田さんのお話しを伺って、一番印象に残ったのは、”自分の命を大事にする=人の命を大事にする事”という所でした。他人を大事にする事と自分を大事にする事は同じなんだという、実に単純な事が、私はずっと気づいてなかったです。この一言で、私はもっと他人にやさしく、思いやりをもった人間になれる様な気がしました。 たくさんの元気と勇気を頂きました。私もそんな人間になりたいです。今度エブリワンに遊びにいきます。よろしくお願いします。

倉田さんが話したように 健常者も障害者も区別はないし、みんな同じ人間なんだから、私は対等につきあいたい。確かに交流イベントとかは その時だけのつき合いかも知れない そもそも健常者とか障害者とかそういう言葉がおかしいと思う。私は去年働いてみて、今も子どもたちとは付き合いがあるし、友達というか、自分の弟や妹みたいに思っている。悪いことをやったら怒るし、一緒に遊んだり笑ったりする。それは普通のことだと思う。でも私も初めは、すごくとまどっていた。どう接したらいいんだろうと思っていた。そうすると子供たちも同じような気持ちだったらしい。お互い、自分から心を開かないと仲良くなれないし。心を開くと不思議なことに ほんと普通。なんの隔たりもない。だから健常者、障害者、そんなものはない。みんな同じ人間だと思う。

私も、人生についてよく考える事が多々あります。障害があるから不幸せ、健全だから幸せということは絶対ない。私も悩みはたくさんあります。乗り越えられないことはないので、今、いろいろな事を考えて生活しています。

以前から障害者という言葉はとても嫌いで、差別意識がありすぎると感じました。そして、今日、倉田さんの話を聞いて、ますます障害者という言葉が嫌になりました。それは倉田さんが障害者っぽくないからです。障害を持ちながらもいろいろな活動や仕事などに熱心で、何よりもすごい熱いハートにひかれました。これからも苦労することがたくさんあると思いますが、負けずに頑張ってほしいと思います。

今日のお話を聞いて、私にとって新しい考え方に感じて、とても新鮮だった。看護でも継続的看護といわれるように、ボランティアで無く友人として触れ合う継続さが大事な事を 考えた事がなかった。自分を大事にする事は、人の命を大事にする。とても素てきな事だと思った。そして、それは看護であろうが、福祉であろうが、共通する事であろう。今回、ステキな時間でした

私はあまり障害者の人とふれあったことがありません。よくいえば出会う機会がなかったのですが、自分からふれあうことをしなかったのかもしれません。倉田さんもいってましたが、健常者と障害者との交流が少ないと思います。同じ人間なのだから仲良くなれると思います。これから先、私は障害者の方と積極的に交流していけたらいいなと思いました。その時、その場でおわらせるのではなくて、ずっと仲良くしていける関係が大切だと思いました。

とても明るい方で、両手が使えないことを感じさせないと思いました。いろんな所でウィズ エブリワンの理事長として活躍されており、すごいなあと思いました。私は絵を描くとか美術系なことが苦手なので、いろんな賞に受賞されていることにも本当に驚きました。これからも多方面での活躍を期待しています。とても大きなパワーをもらった気がしました。ありがとうございました。

障害のために、きっと何か悩みや苦しむ時もあると思う。私達ももちろん色々なことはある。倉田さんが「障害者も健常者も、それぞれ違う悩みはあるけど 悩む量は等しい」と言っていましたが、それがとても印象的でした。もし多くの人がこのような考えならば、障害者、健常者という隔たりもなくせるのではないかと感じた。倉田さんのすごいと思うところは、自ら友達をつくろうと動きだしたこと。私だったら、誰かが何かをしてくれるのを待っていたと思う。倉田さんのように、ボランティアで無く 仲間づくりの場を大切にする人が多く必要だと感じた。

手が使えないながらも、必死にマイクを使って、私たちに語りかけてくれる その姿に、心うたれる面が多くありました。ただ話をしているのではなく、話のふしぶしで私たちに問いかけてくれたり、自分の気持ちを投げかけてくれたりして、倉田さんと一体となって教室全体が話しに聞きいることができました。他人の人を大切にすることや、命の大切さを痛感することができたのは、言葉の1つ1つに重みがあったからだと思います。今日はありがとうございました。

こんな事を言っては失礼だと思うけれど、私は今まで、身体に障害がある方は、知的にも障害があると思っていたけれど、それは私の知識不足だということがよく分かった。障害者と言う単語はどうかと思うが、障害者の人も、耳が聞こえないとか、目が見えないとか、手が動かせないとか、そういうコンプレックス(と言っていいあのか分からないけれど)を持っていて、私達もコンプレックスは1つは持っていると思うし、考えとか思いとかは、ふつうの人と変わらないと思った。

「医療は命、福祉は幸せ」私が今日、講演を聞いて1番心に残った言葉です。倉田さんは、とっても心が広く、人に対する思いやりがある優しい人だなあと思います。もし、私が倉田さんのように障害を持っていたら、自分は障害を持っているんだから、他の人が色々してくれるのは当り前、と思ってしまうと思います。しかし、倉田さんは周りの人の気持ちや、自分がこんな事を言ったら、相手がどう思うか、しっかり考えている優しい人だと思います。障害者と言うだけで、社会は受け入れてくれなかったり、差別してしまう人は世の中に、沢山いると思います。でも、私は、差別したりする人は、心が本当に狭い人だと言える気がします。今回の講演を聞いて、倉田さんも一生けん命がんばっているので、私も大変な勉強をもっともっとがんばって、たくさんの事を経験し、倉田さんのように大きな広い心を持てるような人になりたい、と思いました。今日は、90分と言う時間の中で、私に良い刺激を与えて下さり、ありがとうございました。これから寒い冬になるので、お体には気をつけて下さい。

ボランティアって何だろう...って感じました。その場限りの付き合いだけでは、別に否定するわけじゃないけど、ボランティアをしたぞ!!というボランティアに参加した人の自己満足だけではないだろうか...と思いました。ボランティアで無く友人付き合いが大切ですね 倉田さんは、幸せは人の命を大切にすること。人の命を大切にすることは、いかに相手の気持ちになれるか、思いやることができるか、と言っていました。私は、将来看護師になりたいのですが、看護職は幸せな仕事だと思います。

今回の倉田さんの話を聞き、ボランティアについて考えさせられました。ボランティアは、ハンディを持っている人たちを助けたり、お手伝いをすることだと思っていました。しかし、倉田さんは、ボランティアで無く友達・仲間となりたいと話していました。私は、ボランティアしていて、ハンディを持った人たちと話をすることや何か一緒にやることはするが、ずっと続く友達・仲間となると考えてもみませんでした。ハンディを持った人たちとほとんど接したことがないのもあり、どう接したらよいかわかっていませんでした。でも、倉田さんの話を聞き、普段、友達と接するようにしていくことが、相手にとってもうれしいことなんだと思いました。

障害があるという中でがんばる、ということはとても大変なことだと思いました。友達というのは生きていくうえで大事だと思います。でも、私がもし何かしら障害があって、同じような経けんをしたならば、きっと そのじてんで あきらめてしまうと思います。でもあきらめることもなく、友達とかを作ることができて、すごいと思いました。今だからこそいろんな友達がいるけれども、もっと1人1人の友達を大事にしていきたいと思いました。あと、あきらめない気持ちも大事だなと思いました。

ボランティアは、その時限りの関係になると言っていましたが、その通りだと思いました。「いつか会おう」と言っても、その場の関係で終わってしまった事が何度かありました。友達というものは、遠く離れても、会ったり、電話したりなど、関係を継続していく事だと思う。ボランティアで無く友達が大切だと思った

倉田さんは障害をかかえているにもかかわらず、とても元気で明るい人だと思った。倉田さんは自分の考えをしっかり持っているし、いろいろなことを考えている人だと思った。私は、すごく なにげなく生きていて、もっと たくさんのことを考えるべきなんじゃないかと思いました。倉田さんの話を聞いて、「はっ」としたことがありました。それは、ボランティアの人が その場限りの関係だという話です。言われてみれば確かにそうで、それはすごく悲しいことで現実に行っていることだと すぐに認識したけれど、なぜ言われるまで気づかなかったのだろうと思いました。すごくショックなことです。その場かぎりの関係というボランティアは、「自己満足」という気持ちを持っていると思います 倉田さんの言うように、障害を持つ人と持たない人の枠を取り、互いに対等につきあっていくことがとても大切なことだと思いました。

倉田さんの話をきいて、友達は大切にしなきゃなあと思った。特に本音で話せる友人というのは、そんなにできるものじゃないから大切にして、ずっとつき合っていけるようにしたい。障害が障害となって、本当のつき合いができる友人ができなかったりすることには、悲しいことだと思った。もっとバリアのないつき合いができるようにするにはどうすればよいのだろうかと思った。障害者、健常者という枠をこえて仲よく、そのときだけのつき合いでなく 継続して付き合っていけるようになればいい。私自身も、そういう人間でいられる人でありたいと思った。

普段、障害者の人と関わる事がないので、今日、話を聞けて良かった。障害者の人でも頑張って生きていて、何事にも積極的に取りくんでいる姿をみて、私も頑張らなければいけないと思った。これからも明るく、前向きに生きていってほしいと思う。

倉田さんからの質問に対して、私達が恥ずかしがって答えられなくて、それに対して 倉田さんは あやまられたことが、すごく大変申し訳なく思いました。さっき、手をあげられなくて言えませんでしたが、私は、ボランティアを何度かしたことがあります。中学生の時にクラス全体で、文化祭の企画としてボランティアをしようと三年間つづけてました。私の住んでいた町は田舎でお年寄りがとても多かったので、デイケアの施設へ行ってお年寄りと話をしたり、老人ホームのお年寄りと遊んだり、体に障害をかかえている方というよりは、お年寄りの方とふれ合いが主でした。けれど、ボランティアを継続したいということで、各自1〜2人の一人暮らしのお年寄りの家へ毎日手作りのカレンダーを届けていました。いつも一人で寂しい思いをしているお年寄りの方は、すごくよろこんでくれました。私もある一人のおばあさんの家へ毎月通いました。いろんな話をして、歳ははなれているけど、友達のようになりました。けれど、中学を卒業してから1度も会っていません。もっともっと継続させたかったなって、今日話をきいて思いました。ボランティアって、その後つづけられなくては、しょせん「ボランティア」になってしまうと気付きました。ボランティアで無く継続という仲間や友達等の触れ合いが大切ですね それから、「自分の命を大事にする=人の命を大事にする」という言葉がすごく心にひびきました。私がもし、体に障害を負っていたら、これからもしそうなってしまったら、その言葉が見えなくなってしまうと思います。私達は倉田さんより満足な体を持っているけれど、倉田さんは、私達の何十倍もの強い心や、人を思いやれる心を持っていると思いました。それから書ききれないけど、私は気サクな看護師になりたいです。

初めてヘレンケラーを読んだ時は、そのすごさが理解できなかった。次に読んだ時、そのすごさを知り、倉田さんに会った時、ものすごいと思った。障害のある人の方が健常者の人より頑張っていると思うのは、私だけだろうか。私も、私にできることで可能なかぎりがんばりたい。

倉田さんの話の中で、私もそうだなあ〜と思ったことがあります。ボランティアに疑問を持つとおっしゃってましたが、私も納得できない所があります。私は以前、老人ホームに友達と行って、ボランティアをした事があります。ボランティア活動が終わった後、友達が、”もう絶対やりたくない、最悪。”って言ったのを聞いてびっくりしました。ボランティア中、嫌そうに全然見えなかったのに、そのギャップが信じられませんでした。ボランティアをする人は、嫌々するくらいならしない方がいいと思います。ボランティアやりたいという人は、自然に笑顔が出たり、その時の状況を判断してすばやく行動できると思うし、コミュニケーションもうまく計れると思います。でも やはりボランティアで無く仲間作りが一番大切ですね

倉田さんを一言で言い表すと「全身に良いエネルギーが満ちあふれている人」と言う方。倉田さんがお話した中で、本当に考えさせられた事がありました。その中で、ボランティアをして下さる方は、その場限りの交流で終わってしまうというお話でした。それは、私にとってすごい考えさせられ、学んだ事の1つでした。倉田さん自身は、最初はボランティアをする人は、した後も連絡をとりあって、お食事や旅行など多くの楽しい場を共に過ごす仲間と考えていたそうですが、多くの人は、その場限りで終わってしまうと話されていました。確かに私も、ボランティア=その場でのお手伝いすると考えていました。しかし、それは全く心からボランティアをしていないという事につながってしまうと教えられました。倉田さんが、「僕はボランティアが欲しいのではなく、友人や仲間が欲しかった」と言ってました。すごく胸につきささりました。私たちがあたり前のように友人や仲間を作る事が、倉田さんにとってどれだけの大きな存在になるかを知りました。そして、エブリワンを作り、ここまでたどり着く道のりは、倉田さん自身のとてもすてきな人間性・人を思い、いたわる温かい心をつらぬき通したからこそ、160人もの仲間が輪を広げて、新たな人生をイキイキと輝いていられるその姿に感動しました。筋ジスでお亡くなりになられた方が死ぬ直前まで、皆のことを心から大切に考え行動し 亡くなっていったことも、本当に悲しい事ですが 亡くなられた方は すてき な心の方だと思います 福祉=幸せと言った倉田さん、これからもずっとイキイキと輝いてがんばって下さい。幸せは、単純なものからスタートするんですよネ。私も倉田さんに負けないくらい、毎日を明るく生きていきたいです。今日、来て下さり本当にありがとうございました。

倉田さんの様な方を、駅や街で見かけます。こういう言い方は悪いけれど、少し恐くて近寄り難いという印象がありました。しかし、倉田さんの講義を聞いて、180゜変わりました。すごく話が上手で、とても心優しい方でした。そして何より大きかった事は、”勇気づけられた”ことです。「障碍者」なんて言葉は似合いません。本当に「普通の人」なんだなあと思いました。

話の中で、「福祉とは何か?」というのがあって、私はよくわからなかった。福祉という言葉を口にすることは多いけれど、意味も理解せずに使っていたんだなあと思った。また、10代後半では「友達」が居なかったコトを話されてびっくりした。楽しい10代に、ずっと家の中にいたなんて想像もつきません!! やはり、私のような健常者には理解できないのかなあと思ったけど、今は倉田さん恋人がほしいというのを聞いて、やっぱり障害者も健常者も違いはないと思った(笑)。いつか看護する立場になっても、そのことを決して忘れないでいようと思った。

私は今日 倉田さんのお話を聞いて、初めて障害者の方の気持ちを知ったような気がします。高校生の時、ボランティア部に入っていて、少しは知っているとか、こんな気持ちなんだろうと思っていました。けれど、自分のその気持ちとは全く逆の180゜違う気持ちで、自分が何も知っていなかったなと考えさせられました。そして、倉田さんの話を聞くまで、障害者の方がボランティアの人に不信感を持つことがある、っていうのも全く知りませんでした。ボランティアをする側は、自分が良い事をして満足しているはずです。ほとんどのボランティアがその場だけで、相手のその後を考えることはまずないと思います。逆に、ボランティアされる側は、その時は楽しかったり、嬉しかったり、良い気分かもしれませんが、その後は孤独を感じてしまう。そのようなことは全く考えていなかった自分が恥ずかしくなりました。高校で活動していた三年間の内容にふと疑問を持ち、高校卒業してからずっとボランティアから離れています。今日の倉田さんの話を聞いて、自分がボランティアして良い事したと思うのではなく、相手の望むこと(話をしたり、遊んだり、友達になったり)をしてあげることが、相手にとって良いことなんだと考えました。少しずつ実践していきたいし ボランティアで無く友達になりたいです。

もし、自分に障害があったら、私は、友達をつくることを あきらめてしまうと思う。けど倉田さんは、むかし彼女とかも居たりして 自分の人生を楽しんでいるので、すごいと思いました。倉田さんは強いなあと思いました。つらいこともたくさんあったと思います。私だったら、恋をすることも おっくうになっていただろうと思います。強い人だと思いました。倉田さんに新しい恋人が今後出来ることを応援してます

倉田さんの話しに共感しました 友達や仲間がほしいというのは、皆同じで、私も思うことだし、その人の持っている みりょくだと思う。以前、いじめにあった時、私は心の障害をもった。今も少し後遺症があるが、だからといって人に甘えようとすることなく 私らしく生きようと思う。今は、自分のことで精一杯だけど、この先、周りの人のことも考えられる心豊かな人になりたいと思った。

こんなにも活動していて、いろんなところに講師などをしにいく倉田さんはすごいと思います。こういうことは、あたしみたいな、いわゆる健常者という人も、なかなかここまでできるものではない、と思います。でも、いろんな経験をしているから、いろんな人に話すことができるんだろうなあと感じました。失礼ですが、あたしは体に不自由がある人に対して、色めがねで見ていた部分もあったと思います。でも、これは人間としてまちがっていることだし、これから将来つこうとしている看護師なら、なおさらいけないことだとほんとうに感じました。悩みはあたしにもいろいろあるけど、こんなのは今日の話を聞いて、ちっぽけなものだと思いました。いろんな苦労もあると思いますが、これからもがんばって下さい。

私は小学校の時、耳に障害のある男の子と同じクラスになった事があります。小学校の時は英語のじゅくも同じだったし、帰りも何人かの友だちと一緒に帰ったり、仲良くしていました。でも、小学校高学年になって私がひっこしてから、れんらくをとっていません。男の子だったからかもしれませんが、倉田さんのお話を聞いて考えさせられました。すばらしいなと思った事は、筋ジスで亡くなられたエブリワンの連絡先だった人のお話でした。最後まで自分ではなく、人の事を考えるなんて、私には できないかもしれません。なのにその人は、人の事を優先的に考えて、すごい人だと思いました。私もそんなすばらしい人をみならって、自分もすばらしい人生を送れるよう努力していきたいです。

倉田さんの話の中で、「障害者と健常者は、個人的な継続した付き合いに発展しにくい」ということを聞いて、確かにそうだと感じました。なぜなら、私は小学校のとき、聴覚障害の友達がいましたが、最初のころは話が伝わらず、とても自分の中でいやになり、避けるようになりました。しかし、その友達が何度も話しかけてくれて、私達と同じ友達であると思うようになりました。それからというものの、いろいろと話すようになり、障害者は別に特別な存在ではないんだなあーと思うようになりました。私は、この様な経験をしていたので、倉田さんは特別な存在とは思いませんでしたが、この様な経験をしていなかったら、障害者としか みていなかったと思います。

「まずは相手の気持ちをわかろうとする心を大切にしたい」と倉田さんはおっしゃっていました。これは、障害がある、ないにかかわらず、できそうで なかなかできないことだと思います。でも倉田さんはそういうふうに思えることが大変素晴らしいと感じました この言葉を聴いた時、「障害があるか ないか なんて、かんけいないんだなあ」と思いました。障害を持っていない私たちから見れば、倉田さんは「生活することが大変そうだなあ」と思いがちですが、本当はそんな事かんけいないと思いました。私たちとは生活スタイルがちがいますが、心は全く違いはないと思いました。もし、色んな地域で、健常者と障害を持っている人達とのイベントなどが増えていったら、もっとお互いにわかりあえるのではないかと、つくずく思います。

倉田さんが最初に、「もし友達がいなかったらどうしますか?考えられないでしょう。」と言った。一瞬、ドキッとした。今まで考えたこともなかった。私にとって友達は いてあたりまえの生活になっていたからだ。学校に行けば一緒に看護師を目指す友達がいて、地元に帰れば昔からの友達もいる。苦しいことがあったら一緒に励まし、笑いたい時は一緒に笑うことも出来る。しかし倉田さんは、私があたり前に感じている友達の存在を求めて、11年前から活動しているのだ。そう考えると私はとても贅沢だ。友達がいる大切さを改めて感じさせられた。

養護学校の高校卒業して一時期 友達が居なかったと聞きましたが、ウィズ エブリワンの理事長さんになるまでになっている人なので、一時期 友達が居なかったことがあるという感じがしませんでした。しっかりと、自分の意志をもった人だと思いました。

倉田さんの向上していこうとする意欲はすごいと思った。友達が欲しくてボランティアサークルに参加したものの、障碍者と健常者の交流イベントのみの交流になってしまい、それ以上の個人的な付き合いに発展せず失望したって言っていたけど、それは私達にもあてはまると思った。私も、ボランティアという その場限りの付き合いなら いらないと思う。少なくても本気で付き合える仲間が必要だと思う。私もこれから、エブリワンに参加してみようと考えている。

私は今回、倉田知典さんの話しをきいて、自分を大切にする事の意味を考えさせられました。命がなければ、喜怒哀楽も体験出来ずに、幸せを感じることができない。今、私は生きている。生きているからには、自分を大切にし、自分自身を好きになりたい。その思うことがすごく大切な事だと分かった。8ヵ月の未熟児で生まれ、重度の障害ということで、生まれた時から、不自由な生活を送っている倉田さんを含め、世の中には様々な人がいる。みんなで助け合い、生きていかなければならないという事も伝わってきた。

どんな人に対しても、その人達それぞれの気持ちを理解してコミュニケーションをとるということは、とても大切だということを知った。ましてや看護師を目指しているのであるのだから、もっともっとそういう点は理解しなきゃいけない。1度にはすぐには理解できないから、徐々に徐々にということ。世の中には沢山の人がいるから、その数だけ出会いもある。だから、人とコミュニケーションをとるのは日々くり返していくんだと思う。

人とのコミュニケーションをとるのが大切だなと感じました。倉田さんの話をきいてると、倉田さんは友達がきっと多い人だと思うし、人とつきあうことが好きなんだと 話を聞いていて伝わってきました。相手の心をきちんと感じる私になりたいです。

倉田さんは とてもおしゃべり好きで、ゆかいな楽しい人なんだなと思いました。倉田さんがボランティア
は手助けと話してましたが、私もボランティアしようかなあと最近考えていたので、はっ とさせられました。ボランティアは生活や身の周りの介助が すべてと考えていること その通りだと思った そういう その場だけのつきあいじゃなくて、ボランティアでなく友人として つきあっていきたいと思った

友達がいなかったら 私はどうするのだろう?という事について考えました。小さい頃から当たり前のように、近所の子と遊んでいたので、考えたことはありませんでした。倉田さんは、未熟児で生まれ、重度肢体不自由となり、私とは違ったさまざまな困難があったと思う。今回の授業で一番印象に残ったのは、今(現在)倉田さんは彼女がいなく、募集中と言っていましたね。私も今はいません(笑)

倉田さんは産まれてから ずっととてもがんばってきたと思う。神様は不公平だと思うけど、倉田さん自身はそう思っていないと思う。社会からの目も厳しかっただろう。社会は、”普通のことをする人”と少しちがうだけでも非難するから。どうしたらこのような社会が変わる日がくるのだろう。

私には病気を持った友だちがいます。その子とは小学生の頃から中学校を卒業するまで同じ学校に通っていました。高校は養護学校へ行き、今は社会で働くためにクリーニング屋で研修をしたりしています。会う度に一歩一歩成長しているなあと感じさせられます。でも彼女の病気もいつ死が訪れるかわからないものです。今まで自分が明日、一週間後、1年後死ぬかもしれない など考えたことはないです。「死にたい」とは思ったことはあるけれど、死というものはそう簡単なものではない!!死ぬ前に何が食べたい?など よくある質問があるけれど、まじめに考えてみると死ぬ前に何か食べる意欲など失ってしまう気がします。自分のことしか考えられず、死の世界のことを考え、もしかしたら自殺するかもしれない。こう考えると、健康に生きている私たちより、何かしら重い病気のある方が強い人間なのかもしれない。この講義で、うまく言えませんが 「人間」って ものに深く真剣に考えさせられました。

倉田さんは障害をもっているのに、いきいきとしていてすごいなあと思いました。別に差別とかで無く、ただ純粋にそう思いました。倉田さんには目標があるように話を聞いていて感じました。それに向かって一生懸命がんばっているのが分かってすごいと思いました。自分は体の不自由な方と今まで触れ合ったことが ないので、倉田さんのような人と会うのが初めてでした。初めは少しとまどいましたが、話を聞いていくにつれ、全然とまどいなどなくなっていました。色々な話を聞いてためになりました。ありがとうございました。

倉田さんは、自分の身体について理解し、納得していて、また、自分の社会的立場と、人からの見方(健常者)を倉田さんは とても理解していると思った。私はボランティアに参加しても その場限りの付き合いしかしませんでした。それは友達として付き合っていく自信がなかったからです。私は自分の立場(健常者)から障害者を見て同情してしまったからです。”自分と違って不自由だから かわいそう””普通じゃないから”という気持ちが頭にあったからです。でも今日、倉田さんの話を聞いて、それは違うと気付きました。感覚は人それぞれだから、わざわざ私の立場から相手を考えなくてもいいと思いました。今まで私は大変失礼な考え方をしていた事に反省しています これからは、すなおな気持ちで接し、ボランティアでなく友達になりたいと思いました。

私たちにはわからない障害を持った人の悩みを知った。私たち健常者の悩みより、障害をもって生きている人の方がもっと苦しんでいっぱい悩んでいると思ってきたけれど、倉田さんの話をきいて、そんなことはないんだなあと思った。今、ものすごく自分に自信をなくし かけてて、先生たちから冷ややかな目で見られている感じがしていて、看護師になれるのか不安を抱いている でも倉田さんは周りの偏見にも耐えて、やりがいのある仕事を一生懸命、また生き生きと やりこなしている姿を見て、勇気をもらった。今回のお話しをきいて、自分の考え方を見直してみようと思った。そして、NPOの活動をぜひやってみたい 障害をもった人とふれ合うことの大切さも知った。

体は不自由だけど。でも心は普通の男性の方なのに、なぜ友達をつくるのにも、仕事を選ぶのにも、恋をするにも、人の数倍も悩まなきゃいけないのかを とても考えさせられました。体の障害というものは、健常者の人との心の関わり方にも 高い壁があることが悲しく感じました。

私は障害者の人は ほとんど友達が居ないのではないかと思い込んでいました でも今日の講義で、障害者であるからといって 友達が出来ないことは絶対にないと思いました。自分から積極的に出会いを大切にし、出会った友達と長く付きあっていく努力をすることで、友達ができない悩みは改善されると思いました。障害者と健常者は、常に同じ立場になることが大切だと思いました。

障害があることで、地域とのふれあいが 昔はなかった という話を聞いて、とても悲しい過去があったんだなと思いました。もっと障害のあるなしに関係なく、人と人とが心で継続的に触れ合う環境が増えて欲しいと思いました。ボランティアは、その場限りの付き合いになってしまうということを聞いて、私もそう思いました 日常の手助けよりも、継続ある友達がほしいと思っていることに共感しました。ボランティアでなく友達が大切ですね

ありがとう という感謝の気持ちの大切さ、命が有るからこそ幸せが深く感じられる、自分を大切にすることは人を大切にすること、1つ1つの倉田さんの言葉が 心うたれ、改めて、自分を大切にすることは大事だと思った。

小さい頃寝たきりだったのに、歩けるようになったのは がんばったんだなって思って、すごい。ボランティアは、その場だけの付き合いのみで その後の個人的な付き合いに発展しないのは、その通りだと思った。ボランティアは自己満足な感じだと思う。ボランティアでなく友人の輪を広げることに共感した。

昔 友達もいなくて就職する場もなかった。居場所もなかったなんて思いもつかなかった。まわりに友達がいるのが あたりまえという気がしていた。私の仲間に知的障害の人がいます。幼稚園、小、中学校と、ずっと同じ学校でした。うちの中学校には「おとずれ教室」というのがありました。その仲間は、おとずれ教室とみんなと同じクラスとの2つのクラスに所属していました。HRなどはみんなと同じクラスにいて、授業になるとおとずれ教室に行っていました。でも、周りの人もへだてなく接していて、とてもいいことだと思いました。手がうごかないで足でパソコンをやっているなんて、きようですごい。死ぬ時まで人のことを思いながら死んで行った方は、心ステキな素晴らしい方だと思う。私が死ぬ時は自分のことだけで精一杯になりそうな気がする。

今日、いろいろお話を聞いて、倉田さんの活躍ぶりには、とても驚きました。さまざまなイベントやレクレーションの企画、福祉や医療に関する講師や、コンピューターグラフィックスなど、幅広い分野で活動されていることを知り、とても積極的で、行動力のある方だと思いました。また、多少は日常生活で不自由なことがあったとしても、そんなことは少しも感じさせない力強さを感じました。これをきっかけに私にも何かできることを見つけて、”障碍を持つ人、持たない人の枠を取り払う”ことに参加できたら、と思いました。

中学の頃、ろう学校との交流で、3年間、行事の時などに接してきた。はじめはどんな風に接すればよいか、分からずにいた。障害をもっている人は、周りから見たら健常者に比べて不自由そうだけれど、本人にしてみれば、それが普通ということを知った。それを知ってから、普通に友達に接するように接した。今日の話も同じように感じた。障害者だからとか、大変そうとか、そういう感情をもつよりも、普通に接することが良いのだと思った。

今日、話を聞き、考えなくてはいけない事がたくさんあるのだなあと思いました。障害者だからと言って、特別あつかいされるのを望んでいるわけではないんだなあと感じ、私は今まで障害を持った人は大変とか、つらい想いをしているから親切にしなくてはいけないんだと頭の中で考えて、そして接していました。でも、それは一番いけなかったんだと気付きました。障害を持った人が一番望んでいることは、特別あつかいされるのではなく、普通に接してくれて、友達になれることを望んでいるのだと思いました。だから、今までの気持ちを切り替えて障害を持った人でも普通に接していこうと決めました。今日話してくれた方は、とても前向きで、コンピューターも出来てすごいと思った。でも、こんな前向きになれたのは、今までつらい思いもし、そのたびに落ち込んで、その繰り返しだったと思います。でも、それを乗り越えたから、プラスに考えることも前向きに頑張っていくこともできたんだと思います。

亡くなった友人の事をきいて、とても感動しました。亡くなる直前まで周りの人のことを考えていたなんて、私には考えられません。私だったら自分が死ぬ直前はとても恐かったり、辛かったりして、その人とは全く逆に 周りの人に当たり散らしてしまうかもしれません。本当に生命の消える直前まで周りのことを気づかっているなんて、とても心の温かい人なんだと思いました。とってもすごいことだと思います。

これからは自分の体を大切にするべきだとおもった。私は中学3年の時に 地元の障害者達が仕事をしている所に1日体験実習をしに行きました。最初は、車イスの使い方などを体験したりして、そして午後のお昼頃から一緒に障害者の人たちとごはんを食べ、遊び、そして仕事をしました。工場で細かな作業をするのです。最初はうちとけるかわからぬまま仕事をしていて、徐々に話しかけてくれたり。そして、帰り際には「ありがとう」といってくれたり。私は最後の「ありがとう」という言葉に感動した思い出があります。

倉田さんの話を聞いて、とても倉田さんはすごい人だなと思いました、それは、重度肢体不自由という障害を持っているのに、ウィズ エブリワンの理事長をやっているし、きちんと自分というものを持っていて、自分の意見を言えるし、障害を自分のチャームポイントのようにして普通に話をしていたからです。初めは、少し不安で失礼ですけど、「この人話せるのかな?」と思っていました。でも話しをして わかりやすかったし、楽しかったです。今日はとても勉強になったし、障害なんて関係ないと思いました。これから色々な人と接するのが多くなると思いますが、自分のできる範囲で、自ら手助けなどができる人になり、自分というものを持ち、1日1日を大切に生活していきたいです。

障害者の人なのにとても前向きで、冗談なんかも言ったりして、皆同じ人間なんだなあと思った。また、障害者というだけで特別視していた自分に気付けて とても反省しました。最後に、倉田さんは彼女が欲しいという目標がとても良かった。頑張ってください

倉田さんの話をきいて、なんかすごく強い人だなあと思った。「昔 兄はよくオフロに入れてくれた。感謝している」と言われた時、感動して泣いてしまいました 本当に良いお兄さんをもったなあと思いました。あと、自分から何かに取り組んで NPO法人の理事長 をやってるなんて すごいと思う。私には絶対できない。倉田さんは見た目は障害を持っている人と思われるかもしれないけど、ぜんぜん私には障害を持っているようには感じなかった。私以上じゃん!!と思った。いろいろな話をきけて良かったです。

全面介添えを要する重度肢体不自由だと聞いて まず、日常生活やいろいろな所で不便だと思いました。両手が使えないんじゃ 文字も書けないし、ドアを開けるのも一苦労なんじゃないかと思いました。でもコンピュ−タを足で使うと聞いてびっくりしました。自分は手でも操作のしかたがわからないのに、足でやるなんて不可能だと思いました。そのようなことを聞いて、日常生活を送るのは不便ではないかと思ったけど、自分が思っているよりも不便じゃないのかもしれないと思いました。その人の気持ちや思っていることは、その人しかわからないんだと思いました。

倉田さんのお話しを聞いて、一番印象にのこったことは 20代前半で亡くなってしまった方がいたこと。ずっと皆のことを考えていたこと、自分のことよりも皆のことを最後まで思っていたこと。すごく心にひびきました。私も。母が亡くなる前に「ごめんね。」といってくれて すぐ亡くなりました。すごく私はつらかった。私は何もしてあげられなくて、もっと何かしてあげたかった。と今は後悔ばかりです。

今回、倉田さんの話を聞き、高卒までは ずっと限られた養護学校の世界しかなかった ということがわかり 私との環境の違いに驚きました。私は高卒まで地域のたくさんの友達、先生に出会ってきて、その人間関係の中で、いろいろな発見をしたりしてきました。しかし倉田さんは、ずっと学生の頃から地域に友達が欲しかったというようなことを聞き、気持ちがよくわかりました。皆普通の学校に通える環境に 早くなって欲しいです

倉田さんを見ていて、健常者と同じ心を持っていると思った。けっこう おちゃめで(笑)、話しやすいと思った。自分の考えをしっかり持っていると思った。

”福祉とは何ですか”って聞かれた時、顔を下に向けることしかできなかった。何も私は答えられないと思った。やっぱり”福祉”という言葉の中にマイナスイメージがあったんだと思う。今反省してます

看護は命で、福祉は幸せだとおっしゃっていたのが印象的でした 仲間の方が最後まで他人を思って亡くなって行ったという お話は胸がつまりました。私もきっと、自分の命が長くないと知ったら、自分の事で精一杯になるだろうと思います。今、健康でも、他人を思って生活しているかと問われるとはっきりと答えられません。けれど、今後は他人のことを考えて生活できればいいと思います。他人への優しさは全て他人の為ではなく、それをした事によって自分の満足感を満たしたり、相手から感謝されることでの達成感を得たりする”自分の為”でもあると思います。だから、私は優しさという言葉を頭から肯定、全面的に’良いことだ’とは考えていません。けれど今回のお話をきいて、それでも他人に優しく接するという事は自分の為であっても相手のためであっても、心温まるものだと思いました。看護は命だとおっしゃっていましたが、私は もう1つ考えることは 看護は他人を考えること、だとも思います 日常生活の上での看護という事も大切だとも思うからです。人が、その人らしい生活をおくれるようサポートすることが、私が考えている1つの看護です。これは、また看護にかぎらず、福祉にも(大ざっぱに言えば人が生きていく上で必然的にあるもの)言えることではないかと思います。今日のお話、とてもためになりました。話しの構成も よかったです。ありがとうございました。

今日のお話を聞いて、改めて、地球にはいろんな人がいて、いろんな人生があるんだなあということをすごく感じました。そのことを1人1人が認め合える社会になれば、「バリア」とかそういう壁を乗りこえることが可能なんだろうなあと思った。それが簡単にできることではないので、倉田さんのように私たちにいろんなことを話していただくことは、とても大きなかけ橋を担っているんだと思う。その人の立場になって物事を考えることは、口でいうほど簡単なことではないと思うから、いろんな人達の考えを知ることで、それが私の人生の役に立たせるような人として成長したいなあと感じました。

障害者を同じ普通の人として見れない自分が嫌だった。今反省してます 障害者だって人間だよね、自分の考えをしっかり持っている。倉田さんはすごいと思う。

私は今回の倉田さんのお話を聞いて、障害をもって生活することは大変なんだと改めて感じました。私たちと同じ年代の時に 倉田さんは友達が居なかったと聞いて驚きました。しかし、今現在、沢山の友達に囲まれて前向きに生きていることが伝わってきて 私も充実した毎日を送ろうと思いました。そして、プロフィールを見て、積極的に活動していてすごいと思いました。私も、NPOの活動してみたいです。

今、大切なことは、ハンディ・キャップを持つ人、持たない人という概念をなくし、互いに対等な立場で接することのできる社会をつくっていくことなんだと改めて実感した。また、健常者と障碍者の交流を深めていき、少しずつでも福祉の向上につながっていけたら良いなあと思いました。

「障害」を全く感じさせない 前向きな姿勢がとてもすごいことだと思いました。自分の生活の中で、車椅子を使っている不自由さとかスムーズにいかないこととかが多くあるのではないかと思っていたけど、意欲的に何事にも取り組み、友達を作ろうとかNPO法人の活動をする生活は、私から見てもなかなかできないと思ったので、倉田さんは努力家だし見習うべきこともたくさんあると感じました。これからも意欲的な活動をずっと続けてがんばって下さい。

肢体不自由の方の本音が聞けて、とても参考になりました。これから看護を学ぶうえで、とても勉強になりました。倉田さんにステキな彼女が見つかるといいですね。応援してます

昔は行き場所がなかったという言葉にとても痛感した、障害をのぞいては何も周りの人と変わりないのに。話を聞いていて、ノーマライゼーションには まだまだ、ほど遠いなと思いました。

今まで、私は友達や親やいろんな人に囲まれて生活してきました。それが普通であって、何不自由なく、わがままに育ってきた自分が恥ずかしく思えた。また、相手の立場に立って物事を考えてきたつもりだったが、不十分だったんだなあということも思い知らされました。これからは、色んな人に目を向け、相手のことを第一に考え、接していこうと思います。

今日の話を聞いて、自分がなぜ看護職につきたいと思ったのかを、あらためて思い出させてもらうことができました。今は、ただ目の前にあることをこなしていくことが精一杯で、患者様のことまで考えることが充分にはできていないです。しかし、今日の話を聞いて、もっと患者様のことを考えて、すこしでも喜んでもらえるようにしていかなくてはならないと痛感させられました。倉田さんはものすごい人だと思います。なぜなら、いろいろな活動をされており、健常者の私でもとてもできないようなことを、たくさん行われているからです。倉田さんは障害を持っていても心はとても健康で強いから、こんなにいろいろな活動ができるんだと思います。今日はわざわざ学校にまで来ていただき、ありがとうございました。

とても色々、深く物事を考えている方だと思いました。質問に答えられなかった私達にとても気を使ってくれ、優しい人だと思った。ボランティアでなく友達になることが大切と気付けて良かった

今日、お話を聞いて感動したのは、NPO法人の活動を積極的になさっているということです。NPO法人の活動は一般の人でもあまりやらないのに、障害をもってのNPO法人の活動というのは とても素晴らしいことだと思いました。要項を見ると講師での仕事など、NPOを知らない人に話をするのはとても感動しました。

積極的に講師をつとめていて、すごい活動的な人だなと思いました。「福祉とは何か?」と問われて、答えがすぐに出なかったけれど、そうゆうことから考える事が大事なんだなと思いました。「自分の命を大切にすることは他人の命を大切にすること」この言葉を忘れないようにしたいです。今日の講義は、大切な言葉をたくさん教えてくれたと思いました。ありがとうございました。

倉田さんの話しを聞いたり、倉田さんが載っている読売新聞の記事を読んでみて、「そうだな!」と思うことが沢山ありました。障害を持つ人と持たない人、自分でも知らない内に区別して考えていたと思います。また、倉田さんも話していたように 確かに健康な人同士であってもなかなか本気で向きあっていける友達というのは出来ないように思います。私は高校には恵まれ、本気で話したり、辛い時はいつも相談にのってくれたり、楽しい時には一緒に笑ったりできる友達がいます。友達が出来て、改めて学校に行くことの意味や楽しさを知りました。倉田さんと比べても、私の方が友達を作る機会が多い分、当然なのかもしれません。でも私はNPOの活動には参加したことがありません。その分、様々な年代の人と話す機会があまりないので、とても倉田さんをうらやましく思いました。読売新聞の記事を読んでいて私もそう思いましたが、その場だけの付き合い(ボランティア)の関係では成り立っているが、それ以上の友人としての付き合いが無いということ。ボランティアだけで終わらず、またボランティアで無く友達として、もっと深め合えていけたら本当にいいなと思います。これからも頑張っていただきたいと思います。

倉田さんの話の中で、友達が20代前半で筋ジストロフィーで亡くなられて、その方は最後まで周りの人の事を考えていたと聞いて、自分が病気になって死んでしまうとき、周りの人の事なんて考えられないと思った。その方は周りの人に慕われたのだと思う。そういう人に自分もなりたいが、本当になるのは むずかしいので、その方は すごいなあと思いました。

私の周囲には病気の人はいても、障害者の人は今までに数えるほどしかいませんでした。親しくしていたわけでもないので、正直いないといった方が正解かも知れません。でも今回、話をきく機会があって感じたことは、普通の人だと思いました。顔にしても何にしても、みんながみんな同じわけではないし、1つの良い個性だと感じました。

今回、倉田さんのお話を聞いて、様々なことを考えさせられました。障害を持った方々が、その場限りのボランティアと接する機会はあっても、その後 普通の友達同士としてつき合っていくには 難しいことを聞いて、そうだと私自身 気付いたし また何とも言えない悲しい気持ちになりました。同じ人間なのに、何か壁があるような。ボランティアする人とされる側というような分けられた感じで、とても嫌だと思いました。倉田さんは それを改善しようと、行動していて、色々な活動もしていて、人として、すごく強い人だと感じ、また私も何かできることはないのだろうかと思いました。ボランティアで無く友情が大切ですね

自分自身の体験や経験をお話し下さってありがとうございます。友人が欲しい、恋人が欲しい気持ちは、私にはすごく分かります。何よりも大切な事は、人との絆ですよね。倉田さんは、優しいお兄さんや家族に見守られて幸せだと思いました。最近は、家族でも絆があまりない場合もありますし。エブリワンも参加してくれる方々が増えて、ご友人も増えて良かったと思います 倉田さんの活動には、尊敬してしまいました。私も負けず、NPOや目標に向かって、看護をもっと勉強しなくては、本当に助けたい人も助けてあげられないと思いました。身近でも、努力しなくては、自分から積極的に行動しなければ、本当の意味での友人は出来ないことを改めて再確認し、友人は大切にして、いい加減な行動をしてはいけないと改めて思いました。

私の周りには、障害を持った人がいないので、今日話を聞いてとても勉強になりました。私にとっての幸せはなんだろうと考えてしまいました。普段、考えたことがなかったけど、今、私にとっての幸せは、友達がたくさんいることだと思いました。何か困ったことがあった時、私はいつも友達に助けてもらいます。友達はお金で買えるものではないので、自分しだいで多くも少なくもなるのだと思いました。これからも友達を大切にしていこうと思います。そして、将来、患者さんと接する時には、患者さんにとってはどんなこと(ケア)をしていくことが一番幸せなのかということを考えて、ケアをしていけたらいいなあと思いました。良いお話しありがとうございます

倉田さんが教室に入ってきたとき、失礼ですけど、正直びっくりしました。でも、きちんとわかりやすく ゆっくりと話しして頂き嬉しかったです 車イスにのっていた その体は、思うように動かすことができなさそうで、少し痛々しかったです。でも、もらったプロフィールを見て、私より12年も長く生きているけど、障害をもっているのに 活動の実績の多さに びっくりしましたし、私は一度もNPOのような活動をしたことがないので、恥ずかしくなりました。これから興味はもちろんあるので、忙しい中でも機会を見つけてやってみたいと思います。

今回倉田さんの話を聞いて、自分を大事にしているか、人のことも大切にできているのか、自分の考えについて、死について、様々なことについて考えさせられました。自分のことや周りの人のことについて、大切にできているかといわれたら、なかなか難しいものがあります。私は自分のことに関してあまり自信がなく、好きになれていない部分があるので、きっと人のことも大切にできていません。とても恥ずかしく、失礼なことなのかなと感じました。だから、私にはきっと思いやりも少なく、周囲の人に優しくできていない部分も多いと思います。倉田さんは、自分の考えを人前でもはっきりと言えるところがすばらしいと思いました。私は、人前でモジモジしてしまったり、自分の考えをはっきり言えないところがあるので、その部分がとても嫌いです。でも、これからもっと自分のことが大切にしていけるように努力していきたいと思いました。そして、幸せについて、これからじっくり自分の考えがもてるようにしていきたいです。

今日、倉田さんの話を聞いていて、すごく前向きで、明るくて、楽しい人だなあと思いました。一番心に響いた話は、筋ジストロフィーの人が亡くなる前まで「皆のことを考えていた」ということです 最後まで、自分以外に人のことを考えていたということです。私は、倉田さんの話を聞いて、障害者は健常者と比べ、たしかに日常生活において、できること、できないことの差は大なり小なり あるかもしれないけど、健常者以上に、人のことを思いやれる気持ちを持っていると思いました。倉田さんが、健常者の友達もたくさんほしいということを言っていることに対して、私も、障害のある人と友達になりたいと思いました。もっともっといろんな人と友達になって、自分の周りの世界を広げたいと思いました。

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御感想等は ここへ 

tomonori.taiwa@gmail.com 


2001年6月20日に 帝京平成短期大学 看護学科2年生 230名を対象に 社会福祉論の授業 で私(倉田)が 講師 をさせて頂きました
今回初めての看護学科でした ちょっとドキドキ 笑♪

帝京平成短期大学福祉学科社会福祉専攻2年生 の下川さんが 今年も助手として御協力して頂きました 感謝

短大の玄関デ〜ス 今から仕事頑張って来ます ♪

 

講義 開始 ☆ミ
始めまして 倉田 です 年齢は22歳です 何ちゃって〜
と 倉田講師が冗談で言うと 皆から黄色い(マブシイ)笑いが! ♪
女子大生に囲まれて ハ〜〜〜レムでした 爆笑

看護は自分の命を大切にする場です
自分の命を真で大切にする事により 初めて相手を真で大切に出来るのです
と 倉田講師が最後に語ると 皆心にズシリ♪ときたようです ☆ミ

学生さんの ミニ感想文から

◎ ボランティアや福祉という事より 仲間作りが大切という倉田さんの言葉に これから障碍を持った方と触れて行くにあたり 身近で対等になれると感じた 福祉やボランティアと言う言葉があるから かえって区別を感じる事に気付いた 心のハーモニー を大切にしたい
◎ 中途障碍と先天性の障碍を持った方と私達は何処かで区別していた これから皆 対等に触れ合って行きたい 
◎ 学校の先生よりも 障碍持った方が講師をされた方が とてもわかりやすいし面白い 是非 今後授業で定期的に続けて欲しい
◎ 人間は全員健常者何て居ない事に気付いた 私達だって心に欠点が有り それも心の障碍だと思った
◎ 自分の命を真剣に大切にしたい それによって初めて真で相手を大切に出来るという 倉田さんの言葉に感動した 
などなど


皆さん 本当にありがとうございました


シティライフ 市原版  
(読売・朝日・毎日新聞 折込誌 市原市全域と千葉市・袖ヶ浦市の一部 85000 部 毎週土曜 発行)

2000年12月23日号掲載 「対話で学ぶ福祉」

 「障碍者(しょうがいしゃ)の友人はいますか?」「どんな介護福祉士になりたいですか?」学生に質問をするのは、障碍者と健常者のサークル 市原 ウィズ エブリワン の会長、倉田知典さん(30)。エブリワンは、ボランティアではなく、友だちづくりを目的にした全国でもめずらしいサークルだ。
 市原市ちはら台にある帝京平成短期大学の社会福祉概論の授業に講師として招かれるのも2回目。倉田さんは重度の肢体不自由で、生活すべてに介添えを必要とする。このような障碍者が学校で講義をする機会は、めったにない。現場の受け入れ体制が少ないからだ。今回は昨年と同様、授業を担当する川名はつ子講師の私的な企画によって実現した。
 「福祉って、何だと思いますか?」車椅子から問いかける基本的な質問に、学生たちからは明確な答えは返ってこない。話しは福祉に限らず、恋愛や結婚など自身のプライベートな体験談など、学生たちにとっても身近な内容となった。
 「交通機関など物理的なバリアフリーも大切ですが、障碍者と健常者の交流は、日常の個人の付き合いが出来る 心のハーモニー が大事なのです。福祉とは、みんなが幸せになることです」と学生たちに話しかける。
 講義を聞いた後、提出された学生のアンケートには「机上の勉強ばかりで、福祉のことを全然知らない自分がはずかしくなった」「出る前はおっくうだったけれど、出席してよかったと思った」「人のためにすることが自分のためでもあるという倉田さんの言葉に感動した」など。健常者と何等変わりない障碍者のニーズに触れ、共感した学生も多かったようだ。
 倉田さんはこのような講演活動を、今後自立する手段として広げたいと希望している。障碍者への理解ではなく、お互いが分かり合える場をより多く持ち、たくさんの人とふれあっていきたいと話す。 (国)


2000年11月16日に 帝京平成短期大学福祉学科介護福祉専攻1年生 90名を対象に 社会福祉概論の授業 で私(倉田)が 講師 をさせて頂きました
今回で 2回目 その風景を UP しました

ウィズエブリワン副会長(帝京平成短期大学福祉学社会福祉専攻1年生) の下川さんが 助手として御協力して頂きました 

※ 写真提供 シティライフ  

 

皆さ〜ん こんにちは 今日のテーマは「福祉」について で〜す ☆ミ

バンダナ似合いますよ〜 ?? と学生さんからの 声援 ??? 笑
テレ でれ る とものり講師 爆笑

 

障碍者の真の友達は居ますか・・・(90名のうち3人程度)
学ぶより触れてね(真の友達作ってね) 学業で無く「行学」(触れて学び合う事)で〜ス ♪

倉田君の心の内は ??・・・ 笑
左の前から○番目の○色の服を着てる子 かわゆ〜い  オイオイ 笑
(コラ〜 仕事中だろうー 爆笑)

 

心の条件を無くす事で 全てのバリアフリーになる
心のharmony を大切に

学生さん数人 涙腺ゆるんでた


学生さんの ミニ感想文から

◎ 相手に心て尽くす事が自身の心の幸せの始まり
◎ 利用者と福祉職員という関係で無く プライベートで真の友達になる事が大切
◎ 先生の話しを聞くよりも 障碍持った方が講師をされた方が 福祉が一番良くわかる
◎ 倉田さんの話しは ユーモア とても楽しかった
◎ 考える事は私達と同じ 障碍者と健常者の恋愛等も普通に出来ると思った 共感しました 今まで心の条件にとらわれてた。簡単な自身の心がけ次第で 何でも可能になるんですね

などなど


皆さん 本当にありがとうございました


帝京平成短期大学で社会福祉概論の授業を行い、それが福祉ちばの記事となりました。

千葉県社会福祉協議会発行(1999年11月号2万部発行)記事抜粋
福祉ちば
《援助でなく対話(支援)を》


 最近バリアフリー(障害をなくすこと)が叫ばれ、障害者福祉への関心も高まりをみせています。今回はバリアフリーを熱心に推進し、市原市内の福祉マップ「エブリワン マップ」を手がけた市民グループ市原ウィズエブリワン会長の倉田知典さんを紹介します。
 平成11年10月13日 倉田さんは市原市にある帝京平成短期大学福祉学科介護福祉専攻1年生80名を対象に、社会福祉概論の授業で対話形式による講師をしました。
 その時の話しを振り返り趣旨をまとめました。

「真の友達作りに向けて」
 倉田さんは昭和45年市原市姉崎に生を受け、8ヶ月の未熟児のために重度の肢体不自由となりました。リハビリを受け9歳の時に多少の独歩が可能となりました。千葉市にある養護学校へ入学し、クラスメイト等と有意義に学生生活を過ごして来たそうです。
 両手が利かないため就職等出来ず、卒業後仕方なく、自宅で趣味として足で操作するパソコンを使い創作等活動をしていました。
 地元に友達が居なく精神的に辛い日々が続き、このままでは無気力になると感じ、地元の社会福祉協議会等に相談しボランティア活動を始めました。
 ところがボランティア活動にいつしか不満を覚えました。確かにボランティア活動をしていれば、多くの健常者と知り合いになれます。しかし1回限りの活動が多かったため、付き合いもそこまでとなって恒常的な友達が出来ませんでした。
 同じ人間なのにどうして恒常的な友達が出来ないのかと疑問も沸きました。ボランティアで無く健常者と友達になるために活動したいと考えウィズエブリワンは誕生しました。

「活動を通して広がった個人的な触れ合い」
 倉田さんはウィズエブリワン等の友達を通じて色々な経験をして来たと言います。食事・呑み会、カラオケ、ドライブ、国内・海外旅行、等…、そして健常者の女性と素敵な恋愛体験もしたそうです。
 自力で外出出来ない倉田さんは、多くの友達等に支えられ同じ世代の人々と同様の経験が出来る事に、協力くださる皆さんにとても感謝していると語ってくれました。
 ウィズエブリワン等の友達だけでなく、コンピュータを使ってのEメール交換といった交流もしています。メールを通じて多くの励ましや意見等も寄せられていて、特に感動したのは「心が通じ合えば、外見なんてどうでもよい」という一文だったそう です。

「対話し支援が大事」
 これらの経験を通じて障害者福祉に限らず、もっと全体的に目を通すことが必要であるとわかったと言います。
 障害者だけで無く「物理的なバリアフリーが進むことも大事ですが、人々における心のバリアフリーが最も重要です」と、今後社会に歩み出す学生に熱弁を振るっていました。
 そして、現在の福祉の現場は健常者がメインだが障害者も積極的に参画することがお互いを理解し尊重し合うために必要ではないかと提言していました。
 最後に学生へ向けて「援助ではなく対話と支援をしてください」とメッセージを贈っていました。「援助」は助け保護すること、「対話(支援)」は支え合うこと、と意味を説明していました。

「終わりに」
 介護福祉専攻の学生らは倉田さんのメッセージをしっかり受け取り、真面目に授業を聞いていました。倉田さんがウィズエブリワン活動への協力を求めると、すぐに学生から申し出がありました。
 倉田さんは県内等各地にて福祉・医療・教育に関する講師活動を続けています。社協・学校・行政・民間団体等において、さらに講師活動を広め心のバリアフリー(対等に対話する)を目指すと共に、自立して行きたいと希望していました。

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