この春、私は市原高校の3年生になりました。私の足には、小学校2年生の髄膜炎の後遺症で障害があります。少しの距離なら歩行も可能ですが、外では車椅子が必要です。
私にとって,障害は幼い時からのもの。自然に受け入れていますが、両親の心配は大変だったようです。3ヶ月間の入院生活。その後、養護学校へ通いながらの1年と2ヶ月間のリハビリセンター愛育園での生活。まだ幼かった私は、家に帰れる土曜日が待ち遠しい反面、愛育園ももう一つの家になっていました。今思えば共同生活というもの、年の違う人々や初対面の人との接し方など、ここで学んだような気がします。
この間、両親は私が車イスでの生活がしやすい様にと、受け入れてくれる小学校を探して引越し。普通校へ通学することには私も母も不安がありました。しかし、転校のその日から雨なのにクラスのみんなが迎えに出て来てくれたり、「乗せて、乗せて」と車椅子で遊んだりしているうちに、仲の良いお友達になれたのでした。そして中学校も地域の学校へ通いました。
問題は、高校進学でした。私の場合、通学は母の運転する車の送迎に頼らなければならないため、できるだけ近いところで受け入れてくれる高校を探さなければなりませんでした。中3の夏休みを利用して何校か見て回った中で、市原高校に車椅子用のスロープがあるのを見つけました。もしかしたらと聞いてみると、当時3年生に車椅子の男子生徒がいるということでした。私の入学が決まり、不都合な点について要望を出したら、学校は女子用トイレに車椅子でも使用できる洋式トイレを用意してくれました。大変ありがたかったです。友達も協力してくれて、今は勉強や部活に楽しい学校生活を送っています。
ウィズエブリワンの入会は、高校2年のときに同級生に誘われて参加したのがきっかけでした。学校で障害者は私だけですが、エブリワンには同じ環境の人がたくさんいます。私の障害はまだ軽い方です。重度の障害を持った人でも自分のことをなげいたり、愚痴を言ったりする人を私はこれまで見たことがありません。みんな障害を自分のものとして受け入れ、前向きに生きています。そして自分よりも、もっと重い障害のある人の手助けをしようとしています。障害が重くても軽くても、みんな助け合って生きています。
私も18歳。運転免許を取って、これまで私のために送り迎えをしてくれた母に楽をさせてあげたいと思います。行動範囲が広がった今、街へ出かけて思います。駅やデパートなどの車椅子に対する配慮は行き届き、大変助かっていますが、街の中は段差も多く、車椅子での移動は大変です。もっと車椅子で気軽に街へ出られたらいいと思います。そしてたくさんの人と交流して、私たち障害者への理解が少しでも深まればと願います。 |