No.31
小島英治(24)
1999.12.4 掲載
『未来に向かって!ひとりは皆のために 皆はひとりのために』

 僕と倉田さんが出会ったのは今から9年前、まだエブリワンが発足する前でした。僕は高校1年生、部活で福祉活動をしていました。倉田さんは高校生の僕を歓迎してくれ、しかも敬語で話しかけてくれたのをよく覚えています(ぼくはずっとためぐちですが)。僕は大学を卒業し、新しい他の分野の大学院に進むため勉強中です。
 ぼくはエブリワンの活動そのものよりも仲間との交流を大事にしています。普段の生活の中では、障害者と接することなど、ほとんどないからです。世の中にいろいろな性格の人がいるように、障害者にも優しい人や意地悪な人、おとなしい人におしゃべりな人など、様々です。考えていることはぼくらと変わりません。遊びに行きたい、恋愛したい、自立したい。どれもこれも当たり前のことですが、世の中の人は障害者というだけで皆一緒だと思いがちです。しかし、そういった先入観や偏見は彼らと接すればなくなります。
 高校生のころに、企画参加したハイキングやクリスマス会では『こういう大人になりたい』と思うような、お手本となる魅力ある大学生や社会人にたくさん出会いました。そして、人のためというのは結局回りまわって自分のためになるということも、頭でなく身をもって学ぶことができました。
 4年前、有秋南小学校3年生の道徳の授業に倉田さんが講師として招かれ、ぼくも給食が食べたい一心で一緒に参加させてもらったことがあります(不純な動機ですが)。小学生は倉田さんに興味津々。倉田さんがパソコンのキーボードを足で打つ時には歓声を上げ、次から次へと質問が飛び出して素晴らしい授業となりました。子供のころから障害者に接して正しい理解を持てば、大人になって偏見の目をもつようなことはありません。このような授業は、人間の成長の中で国語や算数と同じくらい価値のある大事なものだと思います。
 日本の障害者の福祉環境は、欧米にくらべてかなり遅れています。アメリカでは障害者の人権は法律で守られています。同じ人間であるはずの障害者が、1人で買い物や映画館に気軽に行けないという社会は、彼らの人権が無視されている社会だといえます。障害者が人間らしい生活を送れるよう、ある程度の法整備が必要です(弐千円札よりも)。
 21世紀の日本は急激にお年寄りが増えます。地域住民として、お年寄りを受け入れることと障害者を受け入れることは同じです。皆のちょっとした心遣いが街全体を優しく変えるはずだと思います。街並みだけをいくらバリアフリーにしても、そこで暮らす人たちに気持ちがなければ『仏つくって魂入れず』と同じ、ただの飾りになってしまいます。少しの勇気と回りを気にしない目、だれに対しても思いやりのある心をもって優しさあふれる街つくっていきましょう。

 

No.30
庄司優子(26)
1999.11.6掲載
『何事もやってみなけば分からない』

 10年前の10月、私は京葉高校の1年生でした。部活を終え、自転車で帰宅する途中に事故は起きました。車にはねられ救急車で病院に運ばれた時、瞳孔は開き仮死状態で意識は戻りませんでした。でも不思議なことに、意識がないとされていた間の記憶が、私には断片的にあるのです。母の話によると、集中治療室で呼びかけると私が涙を流すので、家族は可能性を信じて刺激を与え続けたそうです。2ヵ月半後、脳の萎縮が始まり肌も生気を失い始めたころ、友人の呼びかけで私は笑い声とともに奇跡的に意識を取り戻したのでした。
 手足は硬直し、言葉もうまく話せない復帰でしたが、私はその時生まれ変わったと思っています。翌3月に退院、その後リハビリのため再入院。自分の意志とは関係なく勝手に動く手足、伝わらない自分の気持ち。自分自身との葛藤が続きました。途中からの障害は、自分自身も家族も受入れるまでが大変でした。しかし、その悔しさがバネになったのでしょうか。普通高校に復学したい、友人のいる学校に戻りたいという私の希望はますます強くなり、つらいリハビリも乗り越えることができました。事故から2年後、養護学校をすすめられましたが、私の気持ちを尊重してくれる周囲の努力で、学校側は洋式トイレを用意してくれ、移動の時は家族がサポートするという条件付きで京葉高校に復学出来たのでした。「脳は刺激を与えれば可能性がある」というお世話になった加藤接骨院の先生の言葉を信じ、家庭教師に助けられながら一生懸命勉強しました。そして友人や先生方に支えられ、無事卒業することが出来ました。今は仏教大学の社会福祉学科を通信教育で学んでいます。先月も松本まで心理学のテストを受けに行きました。4度目のチャレンジですが、時間内にペーパーテストに書き込むのが大変です。
 5年前に知人の紹介で入会したエブリワンでは『やって出来ないことはない』ことを教わりました。何事にも決してあきらめないチャレンジ精神!私は食事を上手にとることが出来ません。好奇の目で見る人たちもいますが、はずかしさに慣れるためファミリーレストランに何度も出かけました。兄の結婚式にはエレクトーンを演奏をしました。エブリワンのメンバーのサポートで山登りもしました。3年前から自立の道を目指してお菓子づくりの工房も開きました。ボランティアのみなさんの善意に甘えてのワークホームのスタートですが、仲間が増えてくれることを期待しています。
 事故直後は心の窓を開けてくれる仲間を待っているだけの私でしたが、これからは自ら社会に働きかける自分でありたいと思っています。

ワークホーム ミントベル
自然食品を使ったケーキ、クッキーを作っています。
デコレーションケーキのオーダーも受けています。

 

No.29
川上孝子(63)
1999.10.2 掲載
『月に1度の活動日が何より楽しみ』

 私が身体障害者療護施設の鶴舞莊に来たのは12年前です。赤ん坊のときの高熱が原因で体が不自由になった私は、45歳まで市川の自宅で生活していましたが、事情があって施設に入所することになりました。最初の5年は千葉市内の桜ケ丘厚生園にいました。しかし、ここは長くても5年しかいられないため、身の回りの事がある程度自分でできる私は長期入所が可能な鶴舞莊に来ました。
 市川では家に閉じこもってばかりの生活を送っていましたが、あるときボランティアの訪問を受けて私の生活は変わりました。千葉へ行ってからも同じような交流の会を探しましたが、見つかりませんでした。そして鶴舞莊へ来てからもずっと探し続けていました。そんなある日、入所者の送迎ボランティアで鶴舞莊を訪問したウィズエブリワンのメンバーの早崎さんに出会いました。今から4年ほど前のことです。送迎をお手伝いするのでエブリワンの活動に参加してみませんか、と誘ってくださいました。今では月1回の活動日が何より私の楽しみとなりました。
 若い人達と話をすると、若さを分けてもらえるようで私の気持ちも明るくなります。冗談もいっぱい言って、とても楽しい時間です。中でも一番の楽しみは買い物です。鶴舞莊では、欲しいものは週に1度まとめて職員に頼んで買ってきてもらいます。ですから、普段の生活の中で買い物をすることはありません。コンビニや五井のヨーカドー、ジャスコ、アピタなどで洋服や食品を自分で選んで買い物をする。皆さんにとっては当たり前のことですが、私にとっては普段出来ないことがエブリワンで体験できるのです。私にとって、この時する外食の機会も貴重な楽しい体験となります。参加する日が近づくとパーマ屋に行ったり、当日は早起きをして身支度をととのえます。月に1度の参加ですが、私にとっては次の参加までの楽しみとなるのです。
 歩行時は転倒したときも安全なようにヘッドギアをつけるので夏は暑くてやっかいですが、普段はなるべく自分の足で行動するようにしています。外出するときは車椅子を利用しますが、エブリワンの皆さんとなら安心なので、買い物など人ごみの中へ出かける以外は自分で歩くようにしています。
 鶴舞莊のメンバーも誘いますが、積極的でない人、その気があっても参加できない人、いろいろです。現在、市川の会からも誘ってくださるので、送迎のボランティアをお願いして年に2,3回参加しています。このような健常者と障害者が交流する会に参加するようになって私の気持ちは明るくなり、毎日の生活にもハリが出てきたような気がしています。今、充実した日々を送っています。

 

No.28
上山いずみ(26)
1999.9.4 掲載
『娘に感じて欲しいこと』

 私には現在1歳になる娘がいます。この子を妊娠したことで、私の中でいくつかの変化がありました。これまで関心のなかったことに興味を持つようになったのです。食物やゴミの問題。少子化や高齢化社会。気がつけば他人事とは思えないさまざまな問題が身近で起こっていました。この子が大人になる頃はどんな世の中になっているのかしらと、本気で心配になりました。それまでの私は総理大臣がだれかさえ気にしたこともなく、恥ずかしい話ですが選挙にも行ったことがありませんでした。
 エブリワンを知ったのはそんな時でした。『健常者と障害者の集いって、どんな活動?』と、気軽な気持ちで参加したのですが、そこには自分の理解と想像を超えるものがありました。これまで日常生活の中で障害者を見かけることも、接することもなかった私は、障害者を特別な目で見ていたかもしれません。エブリワンでは健常者や障害者と、言葉で区別するのもふさわしくないほど、皆がいっしょに買い物をしたり、カラオケを楽しんだり、自然に冗談を言ったりして話をしていました。
 駅にエレベーターがなかったり、歩道が狭かったり段差があったり。障害者を街で見かけないのは、障害者が外に出にくい環境があるからだったのです。あまり見かけないものだから、特別視もしてしまうのだと思います。私は自分の子にはそうなって欲しくありませんでした。障害者もお年寄りもみんな一緒に生活するのが当たり前で、普通なのだと肌で感じて欲しいと思いました。
 ちょうどその頃、私は新聞で出生前診断を知りました。お腹の中の胎児に障害があるかどうかが分かる検査です。子を持つ親なら一度は不安になったことがあるのではないでしょうか。妊娠中だった私もそのひとりでした。しかし、エブリワンに参加してみて、私は検査に疑問を持ち始めました。障害イコール不幸と、決めつけていないでしょうか。実際、はかり知れない苦労や困難、辛いこと、悲しみが数多くあるかと思います。でもエブリワンのメンバーを見ていると、とても明るくて不幸とか暗いイメージは湧いて来ません。また、自分が元気な赤ちゃんを産んだからといって『ああ、良かった』で終わりたくないのです。自分の子はかわいい。障害があってもなくても、それは同じです。そしてみんな一人ひとりそう思われている人間なのです。こんな当たり前のことを私は子供を生んで初めて悟ったのです。
 エブリワンでは自分たちの街を住みやすくするために、積極的に活動しています。障害者だけではく、お年寄り、妊婦、子供達、みんなにやさしい街になって欲しいのです。コンビニやレストランで、健常者も障害者も楽しくおしゃべりをしている姿が見かけられるようになれば良いと思います。への理解が少しでも深まればと願います。