No.35
時田和幸(32)
2000.4.1 掲載
『エブリワン入会は私の人生の転機』

袋詰めの作業をする時田さん。三和福祉作業所で

 生まれて間もなく、脳性マヒが原因で私は両足が不自由になりました。千葉市にある養護学校の高等部を卒業した後は、24歳まで袖ヶ浦市の千葉リハビリセンターに入所していました。
 ずっと車椅子の生活を送っていますが、10年前に車の運転免許を取得して手動で操作できるように改造した車を運転しています。当時、免許取得に思いのほか時間がかかってしまったこともあり、リハビリセンターを出て自宅に帰っていました。最初のうちは自由に外出できるのがうれしくて、あちこちドライブに出ていましたが、それ以外は家で音楽を聴いたりテレビを見たりするだけの生活の繰り返しでした。
 4年前、エブリワンの存在を知ったのはそんな時でした。初めての参加はレクリエーション。楽しい活動だったこともあり、これなら続けられると思いました。それまで健常者との接点があまりなかった私にとって、とても興味深いものでした。以前コンビニへ買い物に車で出かけた時、運転席から助手席の車椅子をおろして乗り移ろうとした私を手助けしようとしてくれた人がいました。いつもはひとりで出来るのですが、腕をつかまれた私は自由がきかずその場に転げてしまいました。相手の好意は大変うれしく受けとめていますが、なかには不必要な介助もあるのです。依頼したときに快く引き受けてくれる介助。私としてはそれが一番ありがたいのです。普段から障碍者と接していないと理解しにくい点かもしれません。その点、エブリワンでは障碍者と健常者がとても自然です。
 いま通っている三和福祉作業所の存在も、エブリワンに通っているメンバーがいたことから知ることができました。毎日決まった時間に起きて、車で20分。来ればやることはたくさんあるし、多くの友だちと話をするのも楽しみです。家に引きこもっていた時とは違って、生活にハリが出ました。社会のルールを学び、毎日あいさつを交わすことで基本的な生活習慣も確立されてきたように思います。それに、わずかですが労働することでいただく収入は何よりうれしいものです。
 エブリワンの入会は、まさに私にとって人生の転機でした。働く喜び、集う楽しさ、コミュニケーションのとり方など、さまざまなことを私に教え、与えてくれました。

※ エブリワンでは障碍者が気軽に利用できる店を調査し、主に人に対して優しい店を「推薦の店」として店頭にスッテーカーを掲示して頂いています。現在左記の5店舗に協力してもらっています。(アピタ市原店/ケイヨーD2五井店/とんでん八幡店/イトーヨーカ堂市原店/ラオックス五井店)詳しい資料は、五井、八幡、姉崎の各公民館とサンプラザ市原に今後置く予定です。
 エブリワンでは、活動に協力していただけるお店をさがしています。ご連絡ください。

※ 市原ウィズエブリワン 総会のご案内
  日 時/4月16日 9時40分〜16時
  場 所/姉崎保健福祉センター(アネッサ)
  内 容/今後の活動について

 

No.34
平良陽子(14)
2000.3.4 掲載
『自分のカラから飛び出そう』

2月13日 アピタ市原店て「ステッカー活動」中の倉田さんと 平良さん

 中2の夏、小中学生を対象にした『夏のボランティア教室』に参加したときのことでした。
「あっ、あの人見たことある」。以前シティライフで見た市原ウィズエブリワンの会長、倉田知典さんでした。そのとき私は何かを感じ、エブリワンに入会しました。
 私は小学生の頃から「障碍」に興味があり、本を読んだりしていました。でも、エブリワンではその知識を活かせないでいます。なぜかというと、私は人一倍人見知りをするからです。初めて会う人とは、どうしても話しづらいのです。でもエブリワンには、話せなくても分かりあえる空気っていうのがあります。今でも人見知りは治りませんが、人は大好きです。
 参加回数を重ねるごとに、ひとりづつですが名前がわかるようになってきました。
このごろそれがうれしいことです。私は文章を書くのが好きです。気持ちの向くまま絵を書いたり、歌ったり、詩を書いたりもします。たまにはイキナリ踊りだしたり…。最近自分を飾ることなく、丸出しにするのも楽しいと思い始めました。エブリワンのみんなとも早くそうなりたいな。
 エブリワンに入会する前から書いている小説があります。主人公は障碍者です。
もっと主人公を現実的にするためにエブリワンに入ったと言っても過言ではありません。こんなことを言うとバチあたりなのかもしれないけれど、私は障碍者になりたいです。外出のときは大変かも知れない。でも障碍者の気持ちはいくら本を読んだって、障碍者にしか分かりっこないのです。いくら仲良くなったって、障碍者は今までの苦しみを表に出しません。「強いなあ」といつも尊敬しています。
 また、倉田さんをはじめ、エブリワンのみんなはとても挨拶上手です。素直に「ありがとう」を言えるのです。「ありがとう」すら言えないことがある私は、うらやましい。
 まずは、閉じこもっていないで出ることが大事!私もエブリワンのおかげでだいぶ自分のカラを壊すことに成功しました。障碍者も耐えてきましたが、いままで車椅子とか白杖を障碍者のレッテルにしてきたのは、社会のせいだけじゃないように思います。私はいつだって障碍者の味方です。
 これからは、みんなが自由に、そして縛られない社会になって欲しいと思います。

※現在エブリワンでは『ステッカー活動』を展開してます。これは障碍者等が気軽に利用できる店を調査して紹介するものです。調査の協力をいただけるお店、ステッカーを店頭に掲示してもよいというお店をさがしています。ご連絡ください。
連絡先は左記
事務局まで。eve-info@mail.goo.ne.jp

 

No.33
白瀬智範(24)
2000.2.3 掲載
『あゆみ寄れば見えて来る素晴らしい関係』

 あれは9年前の中3の秋。親に“ボランティアでもしてこい”と言われ、気が進まぬまま参加したとあるイベント。
 そこで初めて障碍を持つ方々と出会い、私にとって新しい世界を知る良い体験をした。なぜかその時「ふーん。こんなんもいるんだな」と思い、初めての介助も全く違和感を感じなかったのを覚えている。 
 そしてすぐうちとけ、友達になることができた。その彼とも今年で10年の付き合いになる。
 私自身も楽しむことを第一に考え、介助は最低限にとどめている。厳しいようだが、彼にとっても意外とこれが良いリハビリになったりする。そして彼には、私のいたらないところを支えてもらっている。そういえば(怒られそうだが)彼の車いすをオモチャ代わりにして遊び、車いすの操作方法を覚えたこともあった。
 私がエブリワンに入会したのは8年前の初夏。様々なことを学ばせてもらっている。特にエブリワンの存在意義でもある「ボランティアではなく友達を」について。ボランティア対障碍者の関係は、両者の間に壁ができてしまいやすい。お世話をする側とされる側。それはそれで良い面もあるが、そこからもう一歩あゆみ寄ってみる。するとお互いにできないところを補い合い、お互いの考え方を尊重し共に生きていくという関係になれると思う。
 とても素晴らしい関係だ。多少オーバーだが、眼鏡をかけている人は視力が弱っているために眼鏡という補助具を使う。程度は軽いが、これも障碍なのではないだろうか。しかし、かけている、かけていないに関わらず、お互い対当な立場に立てる。つまりエブリワンで求めているものは、健常者と障碍者という壁をなくし、見かけだけではなく真のバリアフリー社会をつくることではないだろうか。
 私たちをとりまく環境は、まだまだ障碍者にはとても厳しい環境になっている。ということは、お年寄りにとっても厳しい環境といえる。人ごとではない。私はエブリワンを通じて一日も早く真のバリアフリー社会が来ることを強く願い、自分の出来る範囲で努力していきたい。
 いま私は市内にある老人ホームで働いている。エブリワンで知り合った先輩を慕い就職先を決めたようなものだ。その先輩の支えを受け、様々なストレスに耐えながらも、入居されているお年寄りと楽しい日々を送っている。こんな私を信頼し、孫のようにかわいがってくれる入居者に対して、自分のできることはなんだろうか。今後の大きな課題である。
 この2年間、諸事情によりエブリワンの活動に参加できなかった。今年からまた活動に参加させていただき、エブリワンの発展と自身のレベルアップのために精一杯がんばって楽しみたい。

※エブリワンでは会の方針で『障碍』の文字を使用しています。戦前は「障礙者」と書いていましたが、戦後当用漢字にない「礙」が使えないので「障害者」と書くようになりました。しかし「害」という字には“邪魔なもの、他人を害する”という意味もあります。ですから“妨げ”の意味を持つ「碍」を用いています。本人は妨げをもっているけれど、人を害してはいないということです。

 

No.32
倉田知典(29)
2000.1.1 掲載
『真のバリアフリーは対話から』

 昨年11月、私は加茂中学校の教育講演会で全校生徒をはじめ、教員、父母等350人の前で1時間半、講演させていただきました。私が各地で行っている講演会では、いつも皆さんに気軽に聞いていただきたい、ありのままの自分を見てほしいと思いユーモアをモットーに語らせていただいています。
 8ヶ月の未熟児で生まれたため、私は肢体不自由となりました。現在多少の独歩は可能ですが、食事、トイレ、着替え、移動に介添えが必要です。これまで多くの皆さんの支えにより私は生かされて来ました。一番感謝しているのは、日々の生活を最も支援してくれた両親です。外出も満足にできず、限られた世界で生きてきた私にとって地域に友達はいませんでした。養護学校卒業後は、足でパソコンを操作して多少の創作活動をしていましたが、家で一人ぼっち。数ヶ月に1度というボランティアとの交流にも疑問を感じていました。『いつでも気軽に会えるボランティアを超えた友達がほしい』という思いから誕生したのです。
 活動も8年目。JR駅に車イス利用者対応のエスカレーターが設置されるなど、市原でも建造物のバリアフリー化が徐々に進められています。地域社会全体のバリアを無くしていくために、まず基本になるのはいったい何かと、最近改めて深く考えます。交通機関など、物理的なバリアフリーも大切ですが、私は健常者と障碍者の対話の輪を広げ、接点(趣味や共通の話題)を見つけ合い、日常で個人の付き合いができる『こころのバリアフリー』が最も大事だと思うのです。事故、病気、高齢化、だれだって何時障碍者になるかもしれません。でも、そうなったとしても自身の心がけと多くの仲間で幸せになれます。
 これまで私も多くの友人と、交流してきました。カラオケ、呑み会、旅行、時には朝帰り。恋愛もしています。私は今幸せです。今後も感謝の心で、多くの人たちとふれあって生きていきたい。障碍者への理解ではなく、お互いが対等に心から理解するチャンスとして、講演会という仕事の場を大切にし、自立していきたいと希望しています。