2001.4.7 掲載
『エブリワンは私を待ってくれている』 

 私がエブリワンを知ったのは、昨年の夏でした。友人と高滝湖へ遊びに行った時、たまたま入館した『水と彫刻の丘』で障碍者(しょうがいしゃ)の作品展が開催されていました。会場にあった エブリワンメンバー募集 のはり紙を見ていたら、後ろから「興味ありますか」と会長の倉田さんが声をかけてきました。
 私は以前からボランティアに興味を持っていましたが、これまで活動の機会はありませんでした。学生の時、保育士の免許を取得するために知的障碍児の施設に研修に行ったことがあります。その時、将来はこのような仕事に就きたいとも思いましたが「結婚したらやめるかもしれない」というような甘い考えではこの仕事は出来ないとも思いました。
 慣れないと少々聞き取りにくいおしゃべりでしたが、耳を近づけてお互い話をしました。倉田さんは、エブリワンは私が思っているような「何かしてあげる」意識には限界があること、対等の立場になることで初めて見えてくるものがあること等、ていねいに説明してくれました。エブリワンの考え方を聞いて、とても納得してしまった私ですが「じゃあボランティアって何なの?他のエブリワンのメンバーも本当にそう思っているの?」実際の活動で確かめてみたいと思いました。そして、エブリワンの活動 ウォークラリー に参加する事を約束しました。
 場所は市役所周辺の国分寺台。障碍者1人、健常者3人の4人一組のグループに分かれてのウォークラリーでした。私たちは交替で倉田さんの車椅子を押して走りました。ちょとした坂道や数段の階段でも、とても大変でした。「こういう時はこうすればいいんだ」と、倉田さんの指示に従って3時間あまり。みな汗びっしょりになり、私たちのチームは見事1位でゴール。初対面の人たちばかりなのに、みんなの気持ちがひとつになりました。倉田さんは体格も良く重かったので大変でしたが、何よりも楽しかったというのが私の感想です。あの時倉田さんが話しかけてくれなかったら、エブリワンの存在もこのような体験をすることもなかったでしょう。
 昨年の4月から、私は倉田さんも住んでいる青葉台の幼稚園で働かせていただいています。この一年、学生とは違う社会人としてのマナーや責任をいろいろ勉強しました。そして昨年のエブリワンでの体験は、仕事とは別に私にとって貴重な経験となりました。いまの私は一人前の社会人になるのに一杯いっぱいで、エブリワンの活動にもなかなか参加できません。でもエブリワンは私を待ってくれています。これからは、私の体験を子どもたちにも伝えていきたいと思っています。

ウォークラリーチームのみんなと(後ろ中央が筆者)


2001.3.3 掲載
『バリアは自身の思い込みに過ぎない』

 みなさんは障碍(しょうがい)者と健常者の境は何処にあると思いますか ? 
 先日福祉専門学校に通う友人が『障碍者と健常者との恋愛・結婚』というテーマで卒論を書きました。その中で、ふたりが付き合う点で難しいのは交通機関や家族の反対というバリアであるというのです。周りの条件(バリア)ばかりにとらわれ、そのような環境の中でどうしたら良いかについては、全く触れていませんでした。私は大変残念に感じました。
 重度肢体不自由の私には、以前恋人がいました。私たちふたりが付き合う中でバリアは存在しませんでした。交通機関を利用するときは、駅員や市民のみなさんが私の介添えに協力してくださり、バリアは克服できました。ふたりで色々な所にも出かけました。頭で思うバリア(不安)は、工夫(行動)することで解消されていきました。そして私たちは、周囲のみなさんの協力に深い感謝と喜びを感じました。良い思い出です。
 いくら健常者であろうと、時速数百キロで走ることは出来ません。人は時間的バリアを無くすため、新幹線に乗ります。同様に歩けぬ人は車椅子に乗ります。不便の内容は人により違いますが、その不便を補い合う工夫をそれぞれがしているという点では同じです。そう考えると障碍、健常、ボランティアという区別も不必要です。皆『仲間』で良いのではないでしょうか。私は、バリアは個々の心の物差しに過ぎないと思います。
 “心のバリアフリー”という言葉にも、最近疑問を持っています。人にはそれぞれ個性があり、考え方も違います。それは個々の心の物差しが違うということ。そこには短所、長所が存在し、真の短所(バリア)はそう簡単には変えられません。バリアを無くすより、互いの長所を見続けることが真の人としての尊重であり、最大の調和の近道ではないでしょうか。“心のハーモニー”という言葉の方がふさわしいと私は思います。
 エブリワンの活動は今年の6月で10周年を迎えます。支えて頂いている全てのみなさんに心より感謝します。「みんなで生きる」も、今年で3年目となりました。多くの読者の方から声を掛けて頂き、学校で福祉教育の教材として使われたとも聞きました。みなさんと真の仲間になれるきっかけとして、これからも続けたいと思います。
 21世紀は始まったばかり。ずっと一緒にいてくれるステキな彼女が現れることも私の大きな目標です。


2001.2.3 掲載
『結局エブリワンは頑張ってしまう』

 2年ほど前から、これからの時代はWEBくらい出来なきゃなめられるなあ。そう思って趣味ネタのホームページ作成を始めました。個人ネタでは続くはずもなく、であるからにしてなかなか向上心もわいてこないモンです。
 私は、エブリワンの会長とは若い頃からのつきあいがあって、彼のバイタティーには敬服していたんですが、聞くところによるとエブリワンではホームページを持っていないと聞きました。ウッシッシ(#^.^#)
私としては、WEBネタとしてエブリワンは格好の素材だったわけです。
 そんなわけで、ちまちまとエブリワンのホームページを作り始めました。ところが、会員でもないのに、ページを担当するのはおかしい!との意見が沸いたらしく、WEBページを作るがために、会員になってしまったのでした。
 会長が言うところのエブリワンの話は、幾度となく聞かされてましたが、発足以来の彼が集めてきた活動の新聞やミニコミ誌のクリッピングの山をみてびっくり、これらもホームページとしてWEBに表現するわけですから、それらの記事を読破して、入力、時には新聞写真をデジカメで撮影して掲載したりと、なんだか知らないはずのエブリワンの中身を、いいだけ垣間見てしまったのでした。
 ホームページを作っていると、こんなに頑張らなくてもいい時代がくればいいのに、という感じを受けます。これは、各方面でいろいろな矛盾をずーと先送りされているから、継続して頑張るしかないんですね。
 たとえば、姉ヶ崎駅に付いたエスカレーターなんか、バリアフリーのためにと言いながら、あれを車椅子で降りるために使うには、呼び出しボタンで駅員さんを呼んで来てもらい、誰も乗っていない時を見はからって、登専用のエスカレーターを下りの車椅子モードに切り替えて、はじめて降りることが出来るんですね。しかも、ミョーに急勾配に感じる。そして使用後は、また戻すんです。
 これって、一度体験したら、もう2度と頼めなくなるほど、対外的にプレッシャーのかかる事なんです。
 どんなにバリアフリーを訴えても、こんな風に当事者の意見が盛り込まれないまま、どんどん決まってしまうんですね。
 障碍が有る無しに関わらず、住み良い街づくりを、決して利便を優先するのではなく、不自由になってもそこそこ外出する気になれる街づくりのために、エブリワンは結局頑張ってしまうのです。
 エブリワンを見ていると、障碍は、障害ではなくきっと武器になる。そんな感じがしてきますね。
 一度、ここの会長さんにお会いするといいですよ。きっと勇気がわいてきます。


2001.1.1 掲載
『幸せ不幸せは 自分の気持ち次第』

 高校卒業後、情報経理の専門学校に進学し、家業(土建業)の事務を手伝っています。従業員は直接現場へ行って帰るため、事務所での仕事は人との関わりがほとんどありません。ウィズエブリワンは、一昨年の3月のシティライフ「みんなで生きる」で知りました。
 以前から福祉関係の仕事に就きたいと思っていましたし、ボランティア活動にも興味を持っていたので、早速入会しました。エブリワンには、自分の知っている人よりも重度の障碍(しょうがい)を持った人も多く、最初は不安でした。でも話をしているうちに、障碍を持った人の方がチャレンジ精神もあるし、何事にも前向きな考えを持っていることが分かってきました。障碍者だから、健常者だからという発想ではなく、自分の素直な気持ちを抑えることなく、みな希望を叶えるために努力をする人たちでした。
 どちらかというと、私はとても用心深い性格です。石橋をたたいてたたいて、絶対安全という保証がないと前へ進めない方でした。でもエブリワンの人たちを見ていると、やってみようという気持ちになれるのです。
 一昨年の秋、私はヘルパー2級の免許にチャレンジしました。エブリワンは友達づくりの交流の場、介護ボランティアではありません。介護の勉強をしようと思って入会するところではありません。授業の実習だけでは分からないことも多いと思い、私は別のグループで介護ボランティアをしながら勉強をしました。お年寄りや障碍者のところへも行きました。マヒした人の介添えをして腰を痛めたこともありました。ヘルパー2級の資格は無事取得できましたが「ボランティアはやめられるけれど、仕事だったらイヤでも毎日続けなければならない。私に続けられるだろうか」と、不安になりました。
 ヘルパー養成の研修中、千葉市内を自ら車椅子に乗って歩くというカリキュラムがありました。50代の女性だったでしょうか、車椅子に乗る私に対して冷たい軽べつの眼差しを感じたのを覚えています。私はとてもショックでした。世の中の決めつけの意識を痛いほど感じました。でも、20代の若い人が手伝いましょうか?と声を掛けてくれたときには救いを感じました。この体験を通じ、世の中の障碍者に対する偏見をなくすことこそ、真のバリアフリーだと痛感しました。
 エブリワンでは、障碍も一つの個性です。世の中にはいろんな人がいて当たり前。自分がどんな状況にあっても、社会のひとりとして何時も前向きに生きていきたいと思っています。同じ状況でもマイナスに考えれば不幸せ、プラスに考えれば幸せ、自分の気持ち次第だということを私はエブリワンで学びました。
 20世紀末は私にとって、学ぶことの多いとてもハードな年でした。いま新しい年21世紀を迎え、何にチャレンジしようかと考え中です。いつも堅いことばかり言っていた私が、いきなり行動的になって、きっと友人たちもびっくりしていることでしょう。