2001.12.1 掲載
『エブリワンは私の原点 そして始まり』 

 

  今年は、これまでの私の人生の中で最も早く過ぎた一年でした。昨年結婚し、今年の はじめ陽路(ひいろ)が生まれ、今11カ月。最近は、いろんなことが出来るようになって、毎日育児が楽しくて仕方がありません。「泣く、寝ない、きかない」子育て中の友達の話しを聞くと、とても大変そうです。でも私は そんなふうに感じたことは一度もありません。「話せないんだもの 泣くのは当たり前。こんなに小さいんだもの 手が掛かるのは当たり前」。当たり前の幸せをかみしめています。このように受け止められるのも、すべてエブリワンが始まりだったような気がします。
 私がエブリワンに参加したのは、中学3年生の時。何か さがしものをしていた時、ふと目にとまったのが市の交流ハイキングの参加者募集でした。24時間テレビの影響もあって 障碍者と友達になりたかった私は、与えられたチャンスだと思いました。ハイキングには参加出来なかったけど、倉田さんに連絡したら、同じ青葉台。ちょうどエブリワンの活動が始まった ばかりでした。
 高校の時 連れて行ってもらった養護施設では、感じるものがあり「絶対養護施設の先生になる!」と、その施設に通いました。園長先生に相談したら「資格も必要。勉強しなさい」と言われ、福祉の専門学校で児童福祉を学びました。
 専門学校の実習で知的障碍児の入所施設へ行きました。そこで出会った子どもたちの純粋さや かわいさに、またまた私は引きつけられてしまいました。保育士の資格を取得し、就職先を決めなければならない時期が来たとき「私は仕事にしたかったわけではない。ただ一緒に過ごして友達になりたかっただけ」と、迷いも あって結局就職先を決めないまま卒業してしまいました。
 でも、知的障碍児の施設でお手伝いしているうちに、ボランティアでは出来ないこともあるのだということが分かったのです。本当に その人のことを考えたら、職員になって きちんと関わって向き合う必要があります。何かしてあげたくても、ボランティアでは その場だけに終わってしまう場合が多いからです。
 それから私は、知的障碍者の施設に正式に就職して働きました。その後、出産のため退職しましたが、育児が一段落したら また障害を持った みなさんと一緒に共存できる環境に自分を置きたいと考えています。あの時、エブリワンを知らなければ、今の私は ないと思っています。接点がなければ通り過ぎてしまった世界かもしれません。エブリワンとの出会いは、私の原点です。今は忙しくてなかなか参加出来ないエブリワンですが、陽路がもう少し大きくなったら家族3人で参加したいと思っています。
 「世の中には障碍を持った人と障碍を持つ恐れのある人しか存在しない」私が学生の時に学んだ言葉です。みなさんも この言葉を忘れないでください。そうすれば、これまでとは考え方が違ってくるかもしれません。

高校生の時みんなと。右から3人目後ろ


2001.11.3 掲載
『私にとってエブリワンは心のリハビリ』

  私がエブリワンに入会したのは昨年の9月。当時私は心を病み、自宅療養中でした。高校卒業後に就職した事務の仕事は、そんなに忙しくはありませんでしたが、毎日繰り返される家と職場の往復で追いつめられていきました。ストレスを発散させるという努力をしないまま「仕事を辞めてはいけない」という変な脅迫観念にとらわれ、眠れなくなっていきました。人は極度の睡眠不足に陥ると、自分を見失ってしまいます。
 仕事を辞めて高ぶった神経を鎮めるため入院しました。退院後は週に1度通院しながら自宅で療養していましたが、やる気の出ない日々を自宅で悶々として過ごしていました。ただ、両親はそんな私を理解し、見守ってくれていました。母がシティライフでエブリワンの活動を見て、入会を勧めてくれたのは そんな時でした。
 障碍者でも気軽に利用できる店舗を調査する ステッカー活動。車椅子の障碍者がチームにいる ウォークラリー。参加しても何をしたらよいか分からず、初めての人と接するのが苦手な私にとっては、ただ精一杯やるだけでした。
 その後、会長の倉田さん はじめメンバーの皆と 心のバリアフリー や 障碍 について、じっくり話し合う機会がありました。それまでの私は、車椅子や目の不自由な人を見ると、根拠はないのですが避けていました。どのように接したら よいのか分からず、自身から遠ざけていたのです。しかし、エブリワンの皆と話すうち、どうして そんなこと考えていたのかと思うほど自然に接することができている自分に気付きました。私にとって新しい関係の発見でした。それからというものの、活動に参加するのが楽しくなり、例会をはじめ行事には欠かさず参加しています。
 たくさんの人との出会い、いろんな人と出会いがありました。自分とは違った考えを聞いたり、見たり。体験を積み重ねていくことは とても有意義なことです。それぞれの生き方、考え方を認め合って みんなとワイワイ。理解してくれる仲間がいるエブリワンは、私にとって まさに心のリハビリでした。
 あれから1年、私は いま週に2日福祉の専門学校で講師のお手伝いをさせていただいて います。講師の先生の講演先では、自分の体験を話すこともあります。これからは無理をしないで、徐々に慣らして いこうと考えています。
 どんな時でも、自分を認めてくれた両親には感謝しています。いつかは経済的にも、精神的にも自立した生活を送れるようになりたいと思っています。


2001.10.6 掲載
『好きなことは一生懸命になれる』 

 私は、高滝にある加茂中学校に通う3年生です。将来福祉関係の仕事に就きたいと思っていた私は、中2の時に市の広報で見つけたエブリワンに電話をしました。話しているうちに、相手が中1の時学校に講演に来た人だと分かりました。あの時は、倉田さん(エブリワン会長)が描いた CG を見せてもらって「手足が不自由でもこんなに すごい絵が描けるんだ」とおどろきました。
 エブリワンに初めて参加したのは、姉崎でのステッカー活動でした。障碍者が気軽に利用できる店を調べて紹介するというものでした。何も分からない私は、ついて回るだけでしたが、車椅子に乗せてもらいました。実際に乗ってみると、まず目線の高さが全然違うと思いました。立っていると、楽に届く棚の上の商品も車椅子からは とれません。歩く時とは違って、スーパーの通路も狭く感じました。
 エブリワンはとても楽しいし、新しい発見もあるのですが、まだ数回しか参加していません。休日は家族と過ごすのが あたり前になっていたのに、自分だけ別の所へ出かけるのが悪いような気がしたし、何よりも高滝から五井へ出て参加すると、1回の電車賃やバス賃、お昼代で私の1カ月分のおこづかいが全部なくなってしまいました。そんな訳で、参加したくてもなかなか参加できないのです。
 私は、いま将来の進路で悩んでいます。最初福祉が専門に学べる高校への進学を希望しましたが、どこもとても遠くて通学出来ません。私は、あたりまえのように行かされる高校進学に疑問を感じています。自分の好きなことは一生懸命になれるけれど、興味のないことをやらされるのはイヤなのです。でも、例えイヤなことでも目標に向かうのなら、我慢も出来ると思います。考えた結果、進学ではなく福祉関係の就職を希望しました。働きながらヘルパーの資格をとりたいと考えています。高校進学を望んでいる親とも先日話し合い、とりあえず11月までは就職活動をすることにし、なければ高校進学も含めて考え直すということになりました。
 私がこんなふうに考えるようになったのは、小学校のとき訪問した老人ホームや中2のときの職場体験学習で行った市民病院での体験が大きく影響していると思います。家にもおばあちゃんがいましたが、私とはあまり仲良くありませんでした。でも本当はもっと優しくしてあげたかった。「ごめんね」と心の中では思いながらも、口に出して言えませんでした。でも老人ホームや市民病院のおじいちゃんおばあちゃんとは
とても仲良くできたし、素直になれました。こんな仕事、私に向いているとも思いました。
 そしてその後参加したエブリワンでは、障碍者の人も話してみると普通の友達となんら変わりないのだと思いました。


 2001.9.1 掲載

はじめに

担当/国安京子     

南正一郎さんは、ダウン症で軽度の知的障碍があります。就学時、周囲からは養護学校を勧められましたが、普通の子と同じように育てたいと考えた両親は、正一郎さんを小、中と普通校で学ばせました。一部理解を得られない先生には「勉強は教えなくてもいいから、教室から追い出さないで欲しい」と、頼んだといいます。また、心無い同級生からのいじめもありましたが、正一郎さんは好きなギターで発散してきました。「何時も楽しく。自分の思っていることが、自分の明日」という正一郎さんの意思を尊重した教育方針のもと、家族と理解ある多くの人たちに見守られ、のびのびと成長してきました。
高校卒業後は就職を希望しましたが、なかなかみつかりません。正一郎さんは自ら履歴書を書き、新聞販売店を営む父親に「働かせて欲しい」と提出。以来8年間、早朝からの仕事に加え昼は折り込みチラシを担当しています。その忍耐強さは、周囲も頭が下がるほどだといいます。今でも日記をつけ、書くことは大好きという正一郎さんです。今回この作文を仕上げるにあたっても、原稿用紙何十枚もの下書きがありました。

南 正一郎        

 3年前、僕はエブリワンに入りました。最初、友達になってもらえるかどうか心配でした。
 でも勇気を出して「はじめまして。南正一郎です。よろしくお願いします」と言いました。
 キンチョウしました。
 エブリワンのみんなには、「ミナミさーん」とか「ナンショーさーん」とか呼んでもらっています。とても最高の気分です。
 エブリワンのマップを作るのに、僕も少しだけ参加しました。みんなで町の中を調べに行きました。ハンディーキャップ体験もしました。はじめて車椅子にのりました。その時に段差の怖さを知りました。ちっちゃな石ころに当たっときもびっくりしました。車椅子にのっている人は、ちょっとした段差や石ころも危ないと僕は思っています。
 人はだれもみんなハンディーキャップを持っているんだと思います。耳にハンディーがある人。手足にハンディーを持っている人。、心にハンディーを持っている人。この俺は頭にハンディーキャップを持っているのかな。僕はどうなのか、不思議に思っています。
 でもみんなひとりの人間だと僕は思います。
 友達を持つと、どんなことも共にやろうと僕は思います。
 友達っていいなと,つくづく思います。
 友達を持つことは素晴らしいことだと思います。
 何でも聞いてくれるし、相談にものってくれる。だから僕はエブリワンに入っています。
 エブリワンは友達同士で何かするためのグループです。