No.59
下川雅美(20)

 
2002.4.6 掲載
『自立』するために本当に自分のやりたい ことを見つけたい

 今年3月、私は帝京平成短期大学の社会福祉学科を卒業しました。まだ就職は決まっていません。就職氷河期のいま、クラスメートの多くもそうですが、障碍のある私の場合 さらに厳しい状況です。
 私は小学校2年生の時に かかった髄膜炎の後遺症で、足に障碍があります。多少の歩行は可能ですが、外では車椅子が必要です。両親や周囲の みなさんの理解ある協力のおかげで 小、中、高 と普通学校で学ぶことができました。高校までは両親に送迎してもらっていましたが、卒業と同時に手だけで操作できる車の運転免許も取得し、自力で通学することができるようになりました。行動範囲や友だちの輪が広がったのはもちろんですが、2年間の学生生活は、私の視野も大きく広げてくれました。
 「障碍のある私だからこそ できる仕事があるはず」と、社会福祉学科を選んだ私でした。長
期実習で行った千葉市若葉区の身体障碍者施設では、最初はなかなかうまくコミュニケーションがとれなかったみなさんとも信頼関係が少しずつ生まれてくるにつれ、障碍者という同じ立場で相談を受けることもできました。これから仕事をする上で大きな自信につながった体験でした。
 同じ福祉関係の職場でも、社会福祉は介護と違って公的な資格が多くありません。社会福祉士の資格も、短大卒業ではその後何年かの現場実習を経て受験資格が得られるというシステムです。資格取得のためにも就職して経験を積む必要があります。今後はアルバイトでも良いから自分のやりたい仕事をさがすつもりです。エブリワンの仲間も「あせらないでゆっくり考えて。本当に自分のしたいことを見つけた方がいいよ」と、アドバイスしてくれます。
 自立するためにも、定まった収入を確保することは大事なことです。でも、すぐやめるようなつなぎの仕事はしたくないのです。いまの社会状況では、障碍者の就職は本当に困難です。行政、企業、それぞれに障碍者枠がありますが、雇用する側も車椅子というだけで戸惑うようです。でも、私は自分のやりたい仕事を見つけるまでがんばるつもりです。
 いまエブリワンでは、NPO法人認証のため活動しています。私も就職活動をしながら、副会長としてエブリワンならではの独自性を持った活動をしていきたいと思っています。
 


 

No.58
関 美奈子(37)

2002.3.2 掲載
『エブリワンは日本の モデルケース』

 子供に絵や工作を教える傍ら、日本画の制作発表をライフワークにしている画家です。連れ合いがエブリワンの事務長なので、発足当時から歩みを横目で ずっと見て きました。今、定例会(宴会だったりする)は、とっても いい感じですよ !
 エブリワンの集まりに行くと、いろんな人がいます。これだけのヴァラエティは ちょっと ないでしょう ! 自慢です。障碍を持っていても、みなさん上手に支えて あげれば、その人の持つ力や個性が輝きだし、精神的に著しい成長を遂げる方がほとんどです。足りなかったのは いろんな人との「出会い」「同じ人間としての会話」「さまざまな個性を持つ人と一緒に過ごす経験」だったのですね。

 施設で暮らす障碍者。精神、身体、知的… は、今どのくらい いるのでしょう。主要駅から遠く離れ、一律に管理されている障碍者の方々。本が読みたい。音楽会に行きたい。映画が見たい。そんな人間としての芸術文化への興味を全て封じられて、生きている楽しさをどう味わえというのでしょうか。
 それぞれにヘルパーをつけるなど(もちろん公費負担!)みなが自立した生活を送れることが理想です。移動の自由も国や自治体が保証する。たとえ行き先が仲間と飲み会する 居酒屋でも ! デートするホテルでも !

 私は心が とても疲れると出る精神疾患、うつ病持ちでして。うつ病に顕著な不安発作等の症状が出れば、今は良い薬がありますから 早めに抗うつ剤と睡眠導入剤でたっぷり休養します。昨年は入院を経験しましたが、少しのサポートと居場所さえあれば、普通の生活ができる長期入院患者さんが たくさん ! いわば社会的長期入院者です。これをなくせないか。
 社会整備が進まないため出ずらかったり、病院や施設にいたりで表に出られない方たちが、そこら中で普通に見られること。これこそが、一応「先進国」と言われている国のあるべき街の姿だと思うのです。

 普段から障碍や精神に個性を持つ人が ざらに いるような環境であれば、未来を担うチビちゃん達も、そういうもんか。と自然に受け入れるんじゃないか。そんな経験の中から、ハンディがあっても臆することなく どこへでも行き、何でも出来るんだと感じてくれる。
 夢物語ではなく、私は そう信じます。
 エブリワンの定例会は、20××年の日本の モデルケース なのですよ ! そう、声を大にして言いたい私です。


 

No.57
武田昭夫(36)

2002.2.2 掲載
『ビバ(万歳)! エブリワン』 

 私は脳性マヒで肢体不自由。
 長柄町に住む ちょっと元気のない障碍者です。
 親のすねをかじっちゃっています。
 遊び相手は、36歳の私を弟のように可愛がってくれる7歳の甥と10歳の姪。頼りになる姪が一緒の時、たまに、3人で遊園地などに出かけることもありましが、ひとりの時はトラウマやコンプレックスに勝てず、家に閉じこもってばかりでした。
 外に出かけるのは嫌いではないので「どこかに こんな私でも気軽に参加できるサークルがあれば なぁー」と思っていたのですが、IT 音痴の私はメールやインターネットで情報を入手することも できませんでした。
 ある日、新聞の折込広告の中にシティライフ外房版が目に止まりました。「外房にエブリワンの輪を!」とあり、写真には会長と一緒にチャーミングな女性が載ってました。(もう一人写っていたかもしれない?悪しからず)その時初めて『市原 ウィズ エブリワン』を知りました。「これだ!ここに行ってみよう」 言語にも障碍があり、メッタに自分から電話をしたことのない私ですが、この時は思い切って電話をかけました。
 早速、定例会に足を運んだのですが、対人関係を結ぶ ことの苦手な私は、開催されていた部屋を前に、緊張のあまり体は硬直し、お腹も痛くなり、なかなか中に入れません。やっとの思いでドアを開け挨拶をしました。しばらくは頭の中も真っ白でしたが、メンバーは皆、自然に接してくれ、温かく迎え入れてくれました。
 障碍のある人も、ない人も一緒に生き生きと活動する。そうした光景が私の目には、とても新鮮に うつりました。中でもムードメーカーで、とびきりのジョークとユーモアでメンバーを楽しませていた、人気者の倉田会長のカリスマ性に魅せられ、その日(2001年5月)に『市原 ウィズ エブリワン』に入会しました。
 楽しいことも沢山ありました。
 中でも印象に残っているイベントは、10周年の記念パーティで やったビンゴゲームです。「ビンゴ?」 そうです、私は知らなかったのです。かなり あせりましたが何とかルールを把握してやって見るとハラハラ、ドキドキ。すっかり夢中になってしまいました。
 青葉の森公園でやった、だるまさんが転んだ では、自分が転んでしまいましたが、これも面白かった。
 感動したこともありました。
 ある会の休憩時間、自分の挫折した事などを倉田会長に話しました。すると、「大丈夫だよ これからだよ」と言ってくれました。そして、手の不自由な会長は、足で私と握手してくれました。他のメンバーの方々には、会の中で浮いてしまっている私を気にかけてもらっています。とても うれしいです。
 エブリワンに入って8カ月。心が少し健康になりました。

 

2002.1.1 掲載
『友達の輪を広げるきっかけ』 

 

 3年前、たまに通っていた教会の若い人たち同士で、交流会を開こうという企画が持ち上がりました。企画スタッフとして、エブリワンの会長をしている倉田さんと一緒になりました。これまでも、同じく そこに来ていた重度肢体不自由の倉田さんを何度か見かけていました。でも、話しをする機会は全くありませんでした。
 市原市内で生まれ育ち、高校卒業後は袖ケ浦の会社に就職した僕ですが、それまで障碍を持った人との接点は全くありませんでした。自分の世界とは関係のない人たちだったわけです。「今度エブリワンでバーベキュー大会をするので、君も来ない?」と、倉田さんから誘われて出かけました。汗を拭いてあげる。食べさせてあげる。重度の障碍者と行動を共にするのは、とまどいばかりでした。でも、いろいろ話してみると、共感することも多く感覚的には自分と何ら変わりないのだと思いました。相手が たまたま障碍者だったというだけ。こういう仲間もいいかもしれない。友達の枠を広げるチャンスだとも思いました。
 それから間もなく、エブリワンの忘年会がありました。酒が入れば距離も ぐっと近づきます。倉田さんも酔っていました。そんなに飲んで いいの?と、心配しました。でも このことで僕の障碍者に対する意識は大いに変わりました。車椅子に乗っていても、身体が少々不自由でも普通の人と なんら変わりはないのです。
 僕が今エブリワンに参加しているのは、エブリワンが目指す理念に賛同しているからとか、何か活動したいからとか いう難しい理由ではありません。それに、そんなに深くも考えていません。結果的に、参加して楽しければ それで良いと思っています。エブリワンも毎回 必ず参加しているわけでもありません。仕事が忙しい時は、何カ月も行かないこともあります。
 無理をせず、出来る範囲内で楽しく参加させて もらっているエブリワンですが、僕自身の意識は大きく変わったのを感じます。街に出て、今までは気付かなかった車椅子の人に目が いくようになりました。障碍者をとても身近な存在として受け止められるようになってきました。今もこれからも、倉田さんに会わなければ、このような気持ちはなかったでしょう。
 もっと子どもの時こんな出会いがあれば、僕の人生も違ったものになっていたかもしれないなと、ふと思うことがあります。