No.63
浅野奉子(24)

 
2002.8.3 掲載
 『すべては心から始まる』

 5年ほど前、私は勤めていた会社で右手指4本を切断する という労災事故に遭った。自分が右利きだったこともあり、ケガをした当初は「右手が使えない。どうしよう」と、不便さ ばかりに気を取られて落ち込んでいた。そんな私の考えを変えてくれたのが、入院中のリハビリや周囲の人たちの励まし、助けであった。
 リハビリでは、左手を使う訓練や作業を補助する自助具があることを習った。それまで右利きだった私は、左手で何かすることは困難だと思い込んでいたが、道具を使ったり、訓練すれば できることを教えられた。また、どんな状況下にあっても工夫や心の持ち方で楽しく生活できることを感じた。この入院生活や障碍に いたったことは、今まで考えたことも なかった障碍や身内の支えなどを感じさせてくれる良い機会であったと思う。
 退院後、自分の身の振り方を考え始めた時、様々な障碍に対する援護政策があることを知った。そして、私も それに携わる仕事をしたいと思うようになった。勤めていた会社を辞め、現在 障碍に関する援護政策の一部を担う仕事に就いている。
 1年ほど前、仕事の研修で エブリワンの倉田理事長の講義を聞く機会があった。福祉=幸せという言葉とバリアフリーは自身の心の中に あるという言葉に感銘を覚えた。また その講義で、倉田さんが発起人であるエブリワンの存在を知ることとなった。エブリワンは障碍者も健常者もなくボランティアではない交流サークルで あることに興味を持ち、エブリワンに参加させて頂くことにした。
 私がエブリワンに参加して感じたことは、障碍のある人、障碍のない人、心に悩みを持つ人、様々な人がエブリワンに参加して来る理由も様々なこと。友だちづくり、福祉の勉強、ボランティア、自身の向上など、多くの理由があるが、エブリワンの活動を通して 人と心の ふれあいをしたい という思いは同じだと感じた。
 その思いは、障碍のある なしは関係なく、立場も関係ない。みんなで一緒に出かけたり 食事したりすることは、それだけでも楽しいし、心のふれあいがある。まさに倉田理事長が言う、心のハーモニーがエブリワンにはあるように感じられる。
 私の住まいはエブリワンの本拠地である市原からは少し遠い。しかし、都合の つく限りエブリワンの行事に参加させて頂こうと思っている。エブリワンの皆さん こんな私をよろしくね☆
 最後にエブリワンの活動に限らず、人は心の持ち方で生活を楽しく変える ことができると信じたい。何事も心から始まり、心が大切だと思うから・・・。すべては心から始まる


 

No.62
林大輔(29)

 
2002.7.6 掲載
『待っているだけでは道は開けない』

  私がエブリワンに参加したのは8年前でした。
 日常生活に支障はありませんが、左の手足に少しマヒがある僕は小中高と普通校に通った後、就職に役立つようにと『千葉県障害者高等技術専門校』に1年間通いました。印刷部門で写植の技術を学びましたが、世の中はコンピューターへと移行の時。希望する職種はなく、一般事務で就職が決まりました。
 当時19歳、職場に馴染めずなかなか友だちもできませんでした。社会福祉協議会の広報誌で、エブリワンのことを知ったのは そんな時でした。自宅が会長の倉田君と同じ団地だったこともあり、意気投合して即入会。
 創立して2年目のエブリワンでは、障碍者の立場から見たマップづくりの最中でした。エブリワンの活動を通し、友だちの輪は どんどん広がりました。しかし、職場では うまくいきませんでした。再就職もしましたが、そこも1年足らずで辞めてしまいました。結局自宅で2、3年過ごしたのですが、その間エブリワンの仲間とは親交が深まりました。
 その後、たまたまテレビで知った『障碍者の生活と権利を守る会』に電話をして就職相談をしたことがきっかけで、4年前から都賀の作業所に通っています。そこでは、事務的な仕事を担当させていただいています。ある時、障碍のある人の列車旅行を企画する『ひまわり号』参加者の名簿データ入力のお手伝いをする機会がありました。そこに、エブリワンのメンバーの名前がたくさんあるのを見つけておどろきました。
 以前から倉田会長に誘われ『ひまわり号』の活動は知ってはいたのですが、身近な人がこんなに多く参加しているとは知りませんでした。さっそく私も参加しようと調べたら、『ひまわり号』の事務局が都賀作業所のすぐそばにあることを知りました。そして、こちらの事務局のお手伝いもすることになりました。
 活動しはじめて3年、先日年に一度のイベントが無事終了し、ホットしているところです。現在、月〜金は都賀の作業所に通いながら『ひまわり号』とエブリワンの活動をしています。休日もない状況ですが、充実しています。しかし将来を考えるなら、やはり正社員として就職しなければ自立はできません。
 これまで履歴書を出した会社すべて、障碍を理由に断られました。障碍者の就職の難しさを、身にしみて感じています。しかし、待っているだけでは道は開けないこともエブリワンで学びました。ひとつ行動を起こせば、その向こうにもっと大きな広がりがあるということも知りました。
 これからも希望を捨てずにチャレンジしていきたいと思っています。


 

No.61
廣田麻由(20)

 
2002.6.1 掲載
『私を変えた小学2年生の入院体験』 

 私は帝京平成大学で福祉情報を学ぶ学生です。実家は高知県の四万十川のほとりにあります。現在、両国にある叔母の家から大学まで電車とバスで通学しています。
 エブリワンに入会したのは今年の2月でした。同じ大学に通う友人から「今度、みんなで『ららぽーと』に行くんだけど 一緒に行かない?」と誘われ、軽い気持ちで参加したのが きっかけでした。当日は車椅子のメンバーも たくさん いて、私は とても なつかしく感じました。
 私は先天性の股関節脱臼で、幼い時3回の手術を経験しました。最後の手術となった小学2年の時は、高知市内の子ども病院に1年間入院していました。よく覚えていませんが、もっと小さな時はギブスを巻いて、あまり まともには歩けなかったと思います。この時も手術直後は、ギブスをしたまま腹ばいになって乗るガーニング車で移動していました。これで、看護婦さんと外にラーメンを食べに行ったことも あります。
 その後、車椅子、杖と変わり、今は何の支障もありません。ただ、激しい運動は禁止されていましたから、体育の授業は いつも見学でした。当時小学2年生とはいえ、この時の入院体験は今の自分に大きく影響していると思います。病院には、私より もっと重度の障碍を持った人がたくさん いました。自分は手術をすれば、治る可能性のある障碍ですが、いくら手術しても治らない一生涯障碍と共に生きて いかなければ いけない人が大勢いることを知りました。今思えば、私にとって強烈な1年でした。
 その時の先生や看護婦さんは、みな とても優しかったのを覚えています。「将来、私も障碍を持っている人たちの役に立ちたい」なんて思ったものですが、私にとって現場のハードな仕事は体力的に無理。ということで、同じ福祉に関わる仕事でも心の勉強(ソーシャルワーカー)なら可能と、社会福祉士の資格を取るために福祉情報を選びました。でも、具体的に何がしたいのか聞かれたら、はっきりと答えられない私です。
 私にとって、初めてのエブリワンは「何だか とても楽しい」という印象でした。まだ数える ほどしか参加していませんが、エブリワンに入会しなかったら市原という地域を意識することもなく、友人の輪も広がらなかったでしょう。
 これまでの活動で、車椅子の方のトイレ介助を2度経験しました。「このトイレ広いですね」なんて、所在なく言いながら とまどうことばかりでしたが、私にとってはとても貴重な体験でした。
 でも『エブリワンは、福祉の勉強をするところではなく、友だち づくりの場』。まだまだ理解が足りない私ですが、これからエブリワンのみんなと交流しながら学んで いきたいと思っています。


 

No.60
奥倉康光(34)

 
2002.5.3号掲載
『友だちとは何?』の答えを探して

  「うち、どこ?行って いい?」一瞬絶句。私は内心うろたえた。一昨年の春、ヘルパー資格取得のため実習で行った福祉施設で接した知的障碍を持つ男性からの一言だ。
 健常者という一段高い視点から彼を実習教材として眺めていた私。彼と友達になるという発想は微塵もなかった。「おい、そんな高い所から俺を見下すなよ。俺と友だちになろうぜ。降りて来いよ」彼からの こんなメッセージが私を引きずり降ろした。私にとって福祉とは、優越感を得る自己満足なのか?それとも善人をアピールする売名行為なのか?自問自答した。
 その後、様々な福祉の勉強会にも顔を出したが、彼に返すべき答えは見い出せなかった。健常者だけしか いない空間しか知らない中で、回答を求めること自体無理なのだ。貴重な技術、知識を学んだが、次元が違う。話は かみ合う訳がない。
 そんな折、ヘルパー講習会で一緒だった市原在住の女性からシティライフに掲載されている『みんなで生きる』の記事を見せてもらった。連載しているエブリワンは、健常者と障碍者が介護する側、される側ではなく、心の垣根を超えた友達として交流する会だった。初めて会った会長の倉田君からは「福祉の勉強の つもりで来るのだったら、長続きはしないですよ」と、見抜かれていた。さらに彼は言う「ボランティアとして関わっても、障碍を持った人と友達になろうとする人は少ないです」私の本心はバレバレだ。彼の洞察力は鋭い。
 だが、障碍をもっているかどうかで友達を選り好み出来るほど豊かな友だち付き合いを、果たして私たちは創り出せているのだろうか?人間関係が“個”に分解された社会。いまの世の中、言葉を交わすことなく買い物だって出来る。正直、私には恋人もいない。友人もそう多くはない。健常者の友人が欲しければ、趣味を同じくするサークルに行った方が早いだろう。ところが、不思議なことに私はエブリワンに足を運んでしまう。
 「友だちとは何か」こんな簡単な問いに さえ、私自身いまだ答えられずにいる。「うち、どこ?行っていい?」という問いかけの対する答えを求める「旅」は、今や私のライフワークと化しつつある。君津在住の私は『みんなで生きる』を読むため、郵送料自己負担で本紙を購読している。