No.71
早崎七海(9)

 
2003.4.5掲載
「しょうがいしゃ の多いエブリワン」 

 わたしは、へいせい6年4月4日生まれの早崎七海です。エブリワンには、車いす の人や、しかくしょうがいしゃ の人や、いろいろ います。しょうがい のない人も います。わたしは、しょうがいは、ないけど入ってるんだ。なぜかって?お父さんが入って いるからなんだ。
 「はあ、いろいろ あったなあ。あっ、そういえばキャンプに行きました」2日間だけだったけど、バーベキューをしたり、池へ行ったり、おいしい水をのんだりしました。すごく たのしかったです。こどもの国も行きました。バーベキューをやりました。やきそばをつくりました。ちゃっか ざいをつかったけれど なかなか火が つかなくて、でもでも しばらくしたら すごく もえ上がってきて、やきそばをしました。そしたら すごく すごく おいしい やきそば が できました。わたしは、おかわりもしたよ。しょうがい のある ひとも いっしょに たべたよ。そしたら みんな「七海ちゃん、よく たべるねえ」って言ってくれました。
 いちご がり にも行きました。車いす でも入れるようになっていて、中で はぐれたりしたけれど、みんなで たのしい いちご がり だったよ。わたしは、せ が ちっちゃいから、下のほうだけ赤い いちごをたべたよ。あのあと いちご は どうなったかなあ。
 あっ それと おんせん にも行ったんだ。ごはん は おいしかったよ。くらた くん も いったよ。おさけをのみ すぎて、へや で、ヘロヘロになってた そうよ。フフフ…。ごはんをたべた あと、おんせん に入ったよ。とっても きもち よかったなあ。車いすの まさみ ちゃんとも いっしょに入ったよ。いっぱいエブリワンで しゅうだん で どこかへ おでかけ しに行くのが楽しいな。
 エブリワンへ いく と しょうがいしゃ の人たち と あそんだり できる から楽しいんだ。

両親より
 娘は それこそ赤ちゃんの ころからエブリワンの定例会に出ています。成長する中で自然に傍らに障碍をもつ人が いる環境を経験しています。障碍者に対する特別の思い入れ等はなく、一緒に遊んでくれる優しい お兄ちゃん お姉ちゃんが たまたま身体が不自由で車椅子に乗っている… そんな感覚のようです。
 これこそが、ノーマライゼーション の あるべき姿かも知れないと思うことでした。


 

No.70
松村美賀子(28)

 
2003.3.1掲載
パワー「POWER」


 

 皆さん、こんにちは。私は、現在お茶で有名な静岡県に住んでいます。今から9年前の平成6年、私は市原市内の短期大学に進学が決まり、千葉県市原市に住むことになりました。見知らぬ初めての土地。親元を離れての生活。少々、ホームシック気味になってしまいました。手足が不自由で重度障碍のある倉田さんと出会ったのは、そんな時 友人から誘われるままに参加したボランティア活動でした。
 健常者と障碍者の友達づくりのサークル『ウィズ エブリワン』の代表をしていた倉田さんとの会話は、冗談をまじえて時間を忘れるほど楽しいものでした。これが きっかけとなり、私はエブリワンに入会しました。会の活動に参加しているうちに、私は ものすごい倉田パワーを感じるようになりました。人を魅了するオーラ、バイタリティ、車椅子にも かかわらず その行動範囲の広さ。これには、私も完敗でした。自ら率先して行動する そのパワーに、私だけでなく周囲も勇気を与えられたに違いありません。エブリワンのメンバーも、皆パワーにあふれていました。
 与える者、与えられる者という関係ではなく、共に汗を流し、共に喜び合い、楽しみながら分かち合う。そんな飾らない関係が、私にとって勉強になると感じました。様々な人との出会いは、視野が広がりました。福祉の教科書には載っていないことも、たくさん学びました。
 このパワーが現在の私の土台になっていると思っています。就職も静岡に決まり、短大卒業後は実家に帰ることになりました。私の心にポッカリ穴が あくのではないかと思い、みなさんの好意で引き続きメンバーで いさせていただくことになりました。
 現在、私は介護支援専門員(ケア マネージャー)として働いています。高齢者や家族の みなさんと接する時は、いつもエブリワンで学ばせていただいた事を思い出し、ちょっと知識のある孫や子どものような関係で接するように心がけています。(良いか悪いか わかりませんが)仕事で迷った時は、倉田さんやメンバーの言葉を思い出しています。今でも、エブリワンのパワーが私を励まし、支えてくれていると言っても過言ではありません。
 短い間でしたが、縁あって出会った仲間だから。これからも、この つながりを大切にして いきたいと思っています。


 

No.69
石井沙絵(18)

 
 
2003.2.1 掲載
『出会い そしてハーモニーへ向けて♪』 


 「ちょっと変な人がいる」生まれて初めて私が障碍者を見た時の素直な気持ちでした。私の実家は千葉市緑区土気町。現在、音楽療法士を目指して地方の大学で勉強中です。「音楽療法」は、障碍者等のリハビリの ひとつとして欧米では盛んに行われていますが、日本では まだまだ認知されていません。また、音楽療法士としての国家資格もありません。
 私が通学していた小、中学校には、障碍児学級がありました。一緒に勉強したり遊んだりする中で、自然に友達として ふれ合うことが出来ました。福祉関係に将来進もうと思ったのも、それが きっかけだったのかもしれません。部活動は、中学、高校と吹奏楽部に所属して打楽器をやっていました。高校3年生の進路決定時には色々な方に相談し、音楽療法士の道を選択しました。
 倉田さんとの出合いは、私が高3の時。千葉市社会福祉協議会主催の学生対象の「福祉体験セミナー」に参加した時、講師をされていました。その時 資料として、地域情報紙シティライフの記事『みんなで生きる』のコピーが配布されました。倉田さんの話を聞き、資料を読み「音楽療法士も ただ資格を取るだけでは いけない!」ということを改めて思いました。福祉関係に携わる多くの健常者には、心から つきあえる
障碍者の友達が居ないということでした。それは大変悲しい現実です。
 そんな中、エブリワンは心の友情を広げる きっかけを、全国に発信し、作っていると思います。私も大学が休みで実家に帰って来た時は もちろんですが、卒業後 千葉に戻って来たら積極的に活動に参加したいと思っています。これからの社会、エブリワンの活動は ますます価値あるものになるでしょう。
 出会いって、ほんとうに素晴らしいと思います。幼い頃、障碍児と交流する機会があったこと。吹奏楽の仲間に出会えて音楽療法の道に進もうと思ったこと。そして何より、良き お兄さんである倉田さんと仲良くなれたこと。私は数々の出会いを大切に、気付きの心を広げて行きたいと思います。そして音楽を通して、沢山の人々の笑顔を見たい。
 ♪心のハーモニー♪へ向けて自ら行動して行きたいと思っています。


 

No.68
明石麻衣子(24)

 
2003.1.1 掲載
 『自分らしい生き方をみつけるために』

 私がエブリワンに参加する きっかけとなったのは、会の窓口になっていた小倉浩さんが、亡くなったことを告げるホームページの記事でした。彼には一度も会ったことはありませんでしたが、エブリワンの問い合わせでメールの交換をしていました。小倉さんは とても丁寧に返事をくださいました。それが途絶え、気になってホームページを覗いたのです。記事から、私と同じ重度障碍を持つ彼の生き方を知り、私自身の中で その生を大切にしたいと思いました。
 私は6歳の時、若年性関節リウマチを発病しました。歩いていました。勿論、走っていた記憶もあります。19歳の時には背骨の疾患である胸髄症を患いました。小学生時代は、5カ所の病院に入院し、年齢も病状も様々な人達との出会いや別れがありました。中学・高校は地元袖ケ浦の学校に、養護学校には約半年間通いました。このように重度障碍がありながら普通学校に通えたこと、両親に感謝しています。
 当時は辛いこともありましたが、社会に出ようとしてる今、それらは全て良い経験になっていると気付きました。心からわかり合えると自負している友達もいます。相手が障碍者であれ、健常者であれ、遊んだり悩みごとを相談できる友達です。自分にしか出来ないことがあるのではないか。役に立ちたいという思いもあります。放送大学で勉強し、できるだけ社会参加しています。
 でも実際問題、全面介助が必要ですし、特注の電動車いすを使用するために外出時には かなり困難があります。障碍を持っていても、笑って泣いて怒って また笑って、人間らしく生きていく気持ちが大切だと思っています。「障碍があるから」と逃げるのは簡単だけど、そうなりたくありません。
 個性が重んじられる時代です。強い意志があれば、その人らしく生きていける社会だと思います。私の夢はカウンセラーになること。前が見えず絶望することもありますが、上手く いかなくても動いてみると必ず手掛かりを見いだすことが出来ます。その時の感動は忘れたくありません。夢を叶える方法は、ひとつではないのかも知れません。身体と相談して、一歩一歩踏み出して行きたいと思っています。
 6歳まで健常者だった私が今は重度障碍者。私の中で、その境界線はありません。日本人である前に人間であるのと同じように、いつまで たっても私は私なのですから。支えてくださっ
ている全ての人に感謝しています。