No.75
渡辺秀幸(28)
 

 
2003.8.2掲載
「ふれあい」の大切さ

 茨城出身の私が、市原市民になって10年になります。高校卒業後、当時の郵政省 関東管区の試験を受け、外務員として配属されたのが市津郵便局でした。見も知らぬ市原での ひとり暮らし。最初の年は、仕事を覚えるので精一杯。休みは、洗濯や掃除に時間をとられていました。
 仕事にも ひとり暮らしにも慣れ、余裕が出てきた2年目、パソコンを購入しました。職場以外で身近に話せる友人が いなかった私は、インターネットのチャットに参加しました。全国の友人と楽しく しゃべり、名古屋、大阪、岡山と、各地のオフ会にも参加しました。会うのは初めて でも、チャットでしっかり話しているので「久しぶり」のノリで話せるのです。でも、チャット上では毎日会えても、実際に会えるのは年に1〜2回。もっと近場で遊べる友だちが欲しくて、今度は千葉エリアのチャットに参加するようになりました。
 4年前、車好きの私は念願のレース用の車を手に入れました。以来、ネットでサーキット チームを探し、いま休日は共通の趣味を持つ仲間と会うことが多くなっています。給料は車に つぎ込んでいるので、閉店 間際の安売りをねらっての買い物など、節約生活に心がけています。昨年、新しいパーツの取り付けとメンテナンスで半年以上、車のない時期がありました。以前『ジムカーナ』という車のレースで、車椅子の人が参加しているのを見かけてから「障碍者」が、気になっていました。
 時間に余裕があったこともあり、シティライフで目にしたウィズ エブリワンのホームページにアクセスし、活動に参加してみました。重度の障碍が ある方も いると聞いて、これまでのサークルとは違う雰囲気を予想して行ったのですが、他のオフ会と全く同じだったのは意外でした。
 この10年、全く知らない土地で これだけ多くの友だちが つくれたのは、パソコンのおかげです。知らない相手でも、自分から積極的に話しかけ、共通の話題を見つけて情報を交換すれば、ある程度 互いに理解し合うことはできます。でも、本当の友人関係を結ぶには、直に会って会話を交わすことが何より大切だと思います。人との付き合いから学ぶことは多く、それによって自分が成長して いくと感じています。
 何でも見てみたい、やってみたい。好奇心旺盛な私ですが「出会いはネット上でも、いつも ふれあいのある付き合い」を、信条にしています。
 車が返って来て時間がなくなってからも、エブリワンの友人とは できるだけ顔を合わすようにしています。


 

No.74
西脇久美子(41)
 

 
2003.7.5掲載
私の思う暮らし

 脳性マヒで生まれたため、私は足が不自由です。28年前、私たち家族は市原に引っ越して来ました。父が急死したのはそれから間もなく、私が中学2年の時でした。以来、母は女手ひとつで私と弟を育てて来ました。
 現在、私は母の助けを借りながら小湊鉄道で三和作業所に通う毎日です。朝は車椅子を自分で押して30分、最寄りの村上駅まで歩きます。車椅子に乗った私を母が押すと15分で着くのですが、リハビリを兼ねて自分の足で歩くようにしています。その先の上総三又駅から作業所までは、腕に装着する杖『クラッチ』を使って歩きます。
 大変不安定で、転倒して あごを縫うケガを何度もしているので、クラッチを使う時はヘルメットをかぶります。周囲に迷惑をかけてしまうので、作業所内では車椅子を使って移動しています。通所で一番困るのは、雨です。母は運転できないので、タクシーを使うしかありません。休みの日であれば、弟も車を出してくれるのですが、普段は仕事があるため無理もいえません。親も年をとり、いつまでも頼るというわけにも行かない状況です。
 作業所に通うようになったのは、今から8年前です。足の手術をして入所していた千葉リハビリセンターから家に帰って3年が経っていました。通所は大変ですが、テレビが友だちの毎日から仲間がいる作業所に通えることは、私にとってとてもうれしいことでした。そこで、友人から誘われた健常者と障碍者の友だちサークルがエブリワンでした。
 エブリワンの活動は、またひとつ私に違う世界を広げてくれました。昨年は、念願の大阪ユニバーサルスタジオにも行ってきました。温泉も初体験しました。普段のちょっとした食事会も楽しいひとときです。エブリワンには、私のすべてを受け入れてくれる何でも相談できる仲間がいます。楽しかった会の様子を話すと、母は自分のことのように喜んでくれます。
 今年、母は67歳になりました。体力的にも私の介護は大変だと思います。同じような悩みを持つ友人も多くいます。作業所が車椅子で通える地域にあれば。そして、仲間同士で助け合って暮らすグループホームから作業所に通えることができたら。どんなにいいだろうと思います。
 家族の介護がなくても、地域で自立した暮らしをすること。これが、私の夢であり、理想です。


 
 

No.73
高沢宏一(47)

 
2003.6.7掲載
スローライフでいこう


写真/長女の陽果(はるか)ちゃんと

 十数年前、私は自動車整備の仕事をしていました。ある時、その頃普及し始めていた身体障碍者用の福祉車両を担当することになりました。「こんな車があれば、障碍があっても外出できるし、行動範囲も広がるだろうな」。私が福祉を意識するようになったきっかけでした。当時の福祉車両は、その人の障碍に合わせて改造するオーダーメイド方式。教習も自分で車両を持ち込んでの教習でした。ごく限られた恵まれた人だけが持てる高価なものでした。それ以降、年に何度か福祉車両の整備をする機会がありました。
 このことがきっかけで、外出する機会の少ない障碍者に旅を楽しんでもらう『ひまわり号』の活動に参加するようになりました。そして、そこで倉田さんと知り合い、仲間12人で立ち上げたのが『ウィズエブリワン』でした。当時独身だった私は、積極的に活動に参加しました。友だちづくり活動の傍ら、街を車椅子で歩いてバリアフリーのまちづくりを行政に働きかけたり、交流イベントを企画したり。
 11年後の現在、社会環境は当時と大きく変わりました。市内の駅舎にはエレベーター
や車椅子対応のエスカレーターが設置されました。以前だったら、必ず確認しなければ安心して外出できなかった身障者用のトイレも、いまでは当たり前の施設になりました。まだまだ十分とはいえませんが、わざわざ行政にもの申さなくても、障碍者に配慮したまちづくりに改善されていくことも多々あります。
 3年前、父が脳血管障害で倒れて身体的不自由になった時、通院や介護施設の送迎
用にと、私も福祉車両を購入しました。その後父は亡くなり、車は友人の祖父母の送迎に貸してあげることもあります。現在、私は仕事を辞めて父の後を継いで農業を営んでいます。いま、自然と共に歩む農業に自分の人生を教わるような気がしています。
農業とはこういうものと決めつけるのではなく、稲は、野菜はどう育ちたいのか、自分はどんな農業をしたいのかを、問う毎日です。
 ここ数年は家業や地域活動に忙しく、エブリワンの活動にはなかなか参加できません。会員としてはとても肩身がせまいのですが、お天とうさまと一緒に歩む農業を自分の生き方に選択したように、何事もあせらず一歩一歩進むスローライフでいきたいと思っています。できるなら、娘と一緒に参加したいとも思っています。


 
 

No.72
板倉裕子(19)

 
2003.5.3掲載
「「話す」「話しかける」ことの大切さ」 

 高校在学中、私は友人関係で悩んでいました。毎日のように相談室に通い、スクール カウンセラーの先生に聞いて もらっていました。そんな私に、先生は新しい友達づくりの場として『エブリワン』を すすめてくれたのでした。
 先生は自分も参加したいけれど、仕事が忙しくて参加できないと話していました。以前から、相談室の壁にシティライフの『みんなで生きる』の切り抜きが貼ってあったので、見て知っていました。卒業を控えた3月、初めての参加は お台場で遊ぶ企画でしたが、一人では心細くて友だちと3人で行きました。
 あれから1年。現在、私は お弁当屋でアルバイトをしながら、会の活動に参加しています。高校時代、人間関係が上手く いかなかった私が、アルバイトとは いえ社会に出て上手く やって いけるだろうか、という不安がありました。初めての研修では、キンチョーのあまり お腹が痛くなるほどでした。でも、私は「どんな人でも とりあえず話をする」「自分から話しかける」というコミュニケーションの大切さを、エブリワンで学びました。これまでは、言わなければ いけない場面で「言わなかった」「言えなかった」ような気がします。言いにくいことも勇気を持って言えば、結果は良い方向に向くことが多いことも分かりました。
 高校の時は「友だちを失うこと」「自分が ひとり ぽっちになること」が怖くて、言いたいことも言えなかった自分がいました。でも今は「自分の居場所は ひとつではない」「自分から新しい出会いを求めれば、いくらでも自分の居場所は増えて行くこと」を知りました。障碍者、健常者、年齢、職業、考え方、いろいろな人が いるから おもしろくて楽しい。「私の話を聞いてくれる人がいる」「また新たな出会いがある」そんな思いで、私は職場に通い、エブリワンに参加しています。
 今年の5月からは準社員の採用が決まり、新たな職場でのスタートとなります。バリアを張らず、話しかけやすい自分になって、たくさんの人と出会いたいと思っています。
 今になって思えば、せっかくカウンセラーの先生がセッティングしてくれた話し合いの場にも出ないまま卒業してしまった自分が悔やまれます。会う機会があれば、謝りたいと思います。