西村妙子  
2005.2.5掲載
『ひとりで悩まないで』 

 多発する犯罪。増え続ける若者の ひきこもり。不登校やリストカット、DVや虐待。このような社会状況の中、私たちは悩み苦しむ人たち の傍らに寄り添うことで、少しでも問題解決の お手伝いが できるのでは ないかと、昨年4月『こころの相談室・いちはら』を開設しました。開くにあたり、精神科医をはじめ、保護司や犯罪被害者支援員、カウンセラーなど、日頃から社会福祉に関わってきた10人のメンバーが集まりました。
 私個人としては、長年自殺防止のための電話相談員として の活動を通して、悩み苦しむ相談者の気持ちを受容することが、どれほど苦しみを和らげるかを実感していました。「死にたい」受話器の奥から聞こえる心の叫び。私には その苦しみ の深さをはかり知ることなど できません。だからこそ、相談者の気ちに寄り添い傾聴受容できる場所を市原に開きたいと思っていました。
 開設から今日までの8カ月間、240件を超える相談がありました。相談室の必要性を確信すると共に、責任の重さを強く感じているところです。現在、心理、産業、教育などのカウンセラー5名が対応しています。相談者の多くは、少しばかりコミュニケーションが苦手な だけだと思います。それ故、自己否定して自身が持てずに行き詰まっています。「良くできたね その調子よ」「あなたの笑顔が一番ね」「いつも あなたの事、見守っているよ」等のエンパワーメント コミュニケーションズ(勇気付け)の体験が とても大切です。
 私にも生きることに絶望し、死んでしまえたら どんなに楽に なれるだろうと真剣に考えた時期がありました。その事を知る何人かの友人たちの実に見事な距離の取り方に、どれほど救われたか知れません。しばらく活動を休止しようとしていた その時、ひとり の友人が私の後ろをすり抜けながら、ポンポンと軽く肩をたたいて いきました。そして振り返った私と目を合わせました。たった、それだけだったのですが「大丈夫?貴女のこと いつも見てるから。必要だったら駆けつけるから」「ありがとう。もう少し待って いて。きっと元気に なれるから」。眼差しだけで、こんな無言の会話が交わされました。まさにエンパワーメント コミュニケーションでした。
 コミュニケーションは、言葉だけでは ありません。抱きしめることも、手をつなぐことも、あたたかい眼差しを送ることもエンパワーメント コミュニケーションです。人は人の体温を感じる事で安心します。生きていれば、だれでも苦しみや悲しみを経験するはずです。1人で抱え込むと、心は風邪を引いてしまいます。心の風邪を こじらせないで、できるだけ早く苦しみを吐き出しましょう。
 専門的には様々なカウンセリング技法もありますが、身近に いる人の心の叫びに気づける ゆとりを持って、黙って うなずいて聴いて あげれば大丈夫です。今後も信頼される充実した相談室を目指して、私自身も しっかり学んで いきたいと思っています。

■ 『こころの相談室・いちはら』/月、火、金、土(祝日休)9〜17時
   電話0436−21−0033
 

 
 

北田 知子

 
2005.1.8日掲載
『今、私にできること私たちにできること』

 21世紀は心の時代といわれていますが、現実は心を何処かに置き忘れた社会になりつつあります。幼児、子ども、高齢者への虐待。DV、犯罪の低年齢化。そして、簡単に生命を奪ってしまうような犯罪が増えています。今、社会全体で命の重さを考え直す時が来ているように思います。
 私自身、DV(夫婦間暴力)の被害者という体験を持っています。現在、カウンセラーが主体となって立ち上げた『心のサポートグループ・スピリッツ』という任意団体の代表をさせていただいています。思えば、カウンセラーになったのも、DVの体験があったからでした。
 少しでも社会に役立てればと、市原市内にあるカウンセリングルームでカウンセリングするようになって4年がたちました。相談内容には、不登校やひきこもりなどの青少年問題が目立ちます。次世代を担う人たちのために、何か支援できないかという想いを強く持ちました。
 最近、引きこもっていた若い男性が、家族に危害を及ぼすという悲しい事件が立て続けに起こりました。大変、心が痛みます。ひきこもりは、本人が一番苦しんでいます。そして家族も何とかしたいと思いながら、つらい現実を抱えています。ひとりで、家族だけで抱え込まないで、勇気を出して同じように悩んでいる方たちと話をする場を作りたい。そして、子どもとの関わり方、コミュニケーションの取り方を一緒に学びたいと、昨年ひきこもり家族のサポートの場『自助グループ・スピリッツ』を主宰しました。
 自助グループで得た事をもとに、今年からお茶を飲みながらフリートークで悩みや愚痴などを話していただく場『癒しのスペース。すぴりっつ』を開催します。親と子、夫と妻、友人同士のコミュニケーションなど、対人関係のスキルを楽しく学んでいただきたいと考えています。これまで私たちは、精神面でのサポートができたらと、個人のカウンセリングと、グループカウンセリングをしてきました。同時に一般の方々へのセルフカウンセリング講座も開いてきました。
 今後はこれらに加え、育児に悩むお母さんたちへの支援、支援される方たちのための講座、介護職等の専門職に携わる方のための講座や研修会、職場の対人関係等のストレスを減らすための研修会なども企画していこうと思っています。
 個人的には、今年自宅アトリエでアートセラピー(色彩心理)の教室を開きます。色が心や身体に影響を与えていることは、ご存じない方も多いと思いますが、自由画、ぬり絵、コラージュなどを使ったワークショップで精神面のサポートをさせていただくつもりです。

■『癒しのスペース。すぴりっつ』
■ アートセラピー教室
guucyan@alpha.ocn.ne.jp

 
 
 

No.89
平 和仁(40)

 
2004.11.6 掲載
『発達障害者のことを伝えたい』

 今、僕は40歳です。ADHDとアスペルガー症候群という発達障害と、それに伴う うつ病のために自宅療養しています。発達障害は、先天的に脳の発達に遅れがあり、言葉や、知能、情緒的な発達が阻害された まま成長してしまう障碍です。療養は もう2年になります。慢性的な うつ状態とアスペルガー特有のパニックがあります。
 ADHD(注意欠陥多動性症候群)とは、注意力散漫に なりやすく、落ち着きがなく、片づけものが苦手で部屋をきれいに整頓できない症状を表し、一方、アスペルガー症候群とは、知能障害や言語障害は伴わないけれど、れっきとした自閉症の一種で、対人関係や、コミュニケーションの障害、急激な状況の変化に適応できない一種のこだわりを持っています。
 僕の場合、38歳までは、当たり前のように健常者として生活していましたが、実は人の指示が よく理解できず、人との折り合いも悪く、その せいで何度も転職せざるを得なかったのです。僕自身は、一生懸命仕事をしているのに、どうして嫌なことばかり起きるのかなぁと悩む日々でした。最後の職場でも、指示を理解できず、現場社員からの いじめに あい、上司によって指示が違うので、とうとうストレスから うつ病になってしまいました。精神科に受診すると、療養のために仕事を辞めるように勧められました。
 退職して、診察で知能検査をした結果、アスペルガー症候群との診断。その後、昨年の夏、福島の医大で脳の精密検査を受け、正式にADHDの症状を伴ったアスペルガー症候群という診断名が確定しました。自分の病名を知るまでに39年の歳月を要しました。初めは、障害者になったこと自体は、長年の失敗や苦々しい思い出の数々が、全て これによって説明でき、「失敗の原因が理解できた」と言う安堵感が絶望感より勝っていました。しかし、自宅の療養が長期になると、「親に扶養されなければ、生きられない自分が情けない、親に申し訳ない」と言う気分で自分を責めることが多くなりました。
 これでは だめだ、社会復帰のために何かしなくてはと思い、現在、千葉県精神保健福祉センターのデイケアに通所しています。通所も半年を過ぎ、社会復帰に向けて目標を持つようにと指導がありました。「あなたは社会経験もあるし、パソコンのスキルも ある方だから、きっと社会復帰できるよ」と言われています。今はまず、「小遣い稼ぎ」が できるようになる事を目標に頑張っています。その結果なのか、つい先日あるライターの方と取材でお会いした時に、助手が欲しいので やらないかと誘って頂きました。週2日ですが、仕事をやることになり、今は それに賭けています。
 ぼくが願うのは、発達障害の事を少しでも多くの人に理解してもらうこと。発達障害や精神障害だからと言って危ないとか、恐い人では決してないと言うことを ひとりでも多くの人に伝えて いきたいと思っています。
 


 

No.88
深谷正彦(36)

 
2004.10.2 掲載
『互いが幸せになるために自分は何が出来る』

 私は小さい頃からお爺ちゃんっ子でした。毎年、夏休みの大半は祖父の所で過ごしていました。そんな祖父の物忘れが多くなってきたのは、私が中学生の時でした。痴呆の始まりです。母は20年間勤めていた会社を退職し、介護しました。介護保険も ない時代、収入も減り大変だったはずです。そんな母を私は10年以上見てきました。
 そして、祖父は他界しました。当然のんびり過ごすものだと思っていましたが、母はヘルパーの資格を取り、有償ボランティアを始めます。母をそこまで ひきつける福祉って何だろうと、私は福祉に興味を持つようになりました。そして3年前、家族の不安をよそに、私は福祉業界への転職を決意します。
 福祉の資格を何も持たない30歳を過ぎた無謀とも思える転職でした。何十カ所も受けました。私の話を初めて真剣に聞いてくれたのが現在の勤務先の代表でした。面接なのに「今日は大変申し訳ない。2時間しか時間が作れなかった」という言葉に まず おどろきました。「採用されなくても いいや。いろいろ ぶつけてみよう」と、質問しました。そして返ってきた言葉は「僕の そばで仕事を手伝ってくれないか」でした。まずは経理、総務から入っていって、少しでも福祉に携われたらという思いで探していたので、正直おどろきました。
 その時の出会いで、私は福祉の世界に入ることができました。私は いま、福祉とは「お互いが笑顔で いられること」だと思っています。「1日に何度、笑顔に接することが出来るか?」「笑顔を何度、見る事が出来るか?」だと思っています。自分が笑顔で相手が そうでない場合は、笑顔の押し売りです。セールス マンがニコニコ笑いながら営業をかけている雰囲気に近いかもしれません。基本的に「幸せ」は、お互いが笑顔で なければ いけないのです。単に笑っているだけでしたら「あいつ、馬鹿じゃねえ」と言われそうですが、自然に笑顔が出る気持ちの問題であって、笑えるのは基本的に幸せだからです。笑って仕事が出来るのと、笑わないで仕事をするのとでは、精神面でも大きな差があります。
 昨年、開催された『市原・君津地区タウンミーティング』では、当グループが事務局となり、私が その責任者となりました。多くの人たち との出会いがありました。実行委員の ひとり、NPO法人 ウィズ エブリワンの理事長 倉田知典さんとも出会うこととなりました。現在も、母は資格を持って福祉の世界に います。私は、いまだに資格はありませんが、福祉の世界にいます。支えてくださる皆さんに感謝すると共に、今後も多くの人達との出会いを大切にしていきたいと思っています。
 障碍を持つ人と持たない人、お互いの立場を尊重しあえるような福祉を、少しでも自分に出来る形で探して いこうと思っています。