井本義孝

 

2005年10月14日号掲載

市原から交通バリアフリーを発信」 

 急速に高齢化が進むわが国では、7、8年後4人に1人が65歳以上になるといわれています。1985年の国際障害者年を契機に、ノーマライゼーションの考え方が普及、理解され、だれもが平等に市民として行動、生活できるよう求められて来ました。
 5年前の平成12年5月、政府は「交通バリアフリー法」を公布しました。市原市では高齢者、身体障がい者、妊婦、けがをした人や傷病者など、みんなが公共交通機関を使った移動をしやすくするためのバリアフリー化を積極的に推進するため、5年後の2010年を目標に「市原市交通バリアフリー基本構想」を策定しました。
 ここに至るまでには、市と市民の協働による「検討ワーキンググループ」と「推進協議会」の活動がありました。昨年3月に行われた「駅あるき点検」に始まり、十数回のボランティア活動が行われました。特に検討ワーキンググループではバリアフリーの問題点、課題等の気付きを共有しつつ、バリアフリーの環境実現に向けて「市民ができること」に取り組みました。その結果、歩行空間(段差、歩車分離、視覚障害者への配慮など)、駅空間(昇降施設、トイレ、券売機、視覚障がい者への配慮など)、ハード面では施策への展開がありました。また、ソフト面では、外出支援(市民ボランティアの養成と活用)、私たちに出来ること(人材の活用、小さな親切、声かけなど)、市民の気付きや思いを伝える(市民の声を聞く窓口、バリアフリーの窓口、バリアフリーのチェックなど)、市民参加の継続(多様な参加、指摘だけでなく改善策の検討など)が課題となりました。
 そこで、私たち検討ワーキンググループは、去る9月16日サ、様々な方々に呼びかけ「交通バリアフリーワーキング市民のつどい」を開催しました。第1回全体会となったこの日は、これまでの経緯と今後の会の進め方などが話し合われ、駅構内で困っている人を手助けする駅ボランティアの実施をはじめ、記念講演やシンポジウム、学校への出前講座が計画されました。これに基づき、10月1日市民有志による実行委員会により具体的方法が協議されました。市原市から良きモデルを全国に発信する活動として、市民ボランティアと市が協働して実施していく予定です。まだまだ、多くの支援者とボランティアが必要です。どうか、より多くの方の賛同と参加で、市原を日本一のバリアフリーの街にしましょう。

■駅ボランティア
・11月20日(日)八幡宿駅、姉ケ崎駅で実施
・12月4日(日)障害者週間に合わせて五井駅で実施

■記念講演及びシンポジウム/平成18年1月28日(土)13時? YOUホール
講師 日本大学工学部社会交通工学科藤井敬宏教授

■教育現場への出前講座(受け入れ校との調整)
問い合わせ 事務局/千葉まちづくりサポートセンター(原田)
TEL 090・2748・9687

 


 

 

西川弘子

 

2005年9月3日号掲載

「ふれあう こと で互いを理解する」

 『福祉ハウスふわふわ』は、精神障害者の地域生活を支援する ための共同作業所として今年3月、八幡にオープンしました。現在、9人のメンバーと4人のスタッフで運営しています。
 全身麻痺に至る難病ALS(筋萎縮側索硬化症)を、42歳で発症した千葉市在住の舩後靖彦(ふなご やすひこ)が、声も出せず、物も食べられないという絶望の淵にありながら、ハンディを持つ人の ために何かしたいと思ったことが きっかけで、有志が集まり、開所しました。
 築120年の古民家を借して いただいた理解ある大家さんにも感謝しています。以前、和風喫茶だったというここは、JR八幡宿駅からも近く、通りに面し、立地条件にも恵まれています。全面ガラス張り、福祉作業所で これだけ開かれた店舗形式も めずらしいと思います。プロの自転車屋がスタッフに いることもあり、現在 自転車のリメイク、修理、点検、リサイクルをはじめ、リサイクル品の販売やビーズ アクセサリーの制作と販売が主な事業です。オープンして5カ月、ようやく お客さんが訪ねて来てくれるようになりました。
 うつ病や統合失調症などの精神障害者には、誤解や偏見が伴い、当事者は引きこもり がちになる傾向があります。作業所は、障害者が社会復帰をめざして社会との つながりを持つ場所として、また地域の居場所として必要と されていますが、医師から勧められても そのような場所が少ないのが現状です。
 今年8月、ふわふわ は市内で ふたつめ の精神障害者の共同作業所として市から認定されました。まずは規則正しい生活習慣を身に つけることが基本ですが、ここで の事業収益はメンバーさんの報酬となり、労働に対する意欲にも つながっています。
 鍼灸師の仕事をしている私は、身体の こりを取りながら、心の こりが気になっていました。精神の病は特別の ものではなく、不安定な現代社会に おいては だれも可能性の あるものだと思っています。地域に居場所を提供することで、本人、ご家族の心の問題を少しでも楽に して あげる お手伝いが できればという気持ちで関わらせて いただいて います。何より、スタッフにとって、心地よい場所にしたいと思っています。
 利用するメンバーさん一人ひとり、状況は違います。それぞれに あったサポートを心がけている ふわふわ では、昼食はメンバーが楽しみながら協力して作り、皆で食卓を囲んでいます。受け入れ人数10人という小さな規模だから出来るのですが、このような家庭的なコミュニケーションを大切にしています。
 そのためにも地域の方々をはじめ、より多くの皆さんに気軽に訪ねて いただける場所に なりたいと考えています。解決しなければ ならない課題も多くありますが、ふれあう ことで偏見も なくなり、互いの理解も深まるのだと思います。
(月、水、金 10〜15時)


 

本田あきな

 

2005年8月6日号掲載

「人は変わることが できる!」 

 私は、今22歳。小さな命を授かり、来年春にはママになります。私は、小学校の頃から いじめ られっ子でした。中学入学後は、更に いじめ が酷くなり、いわゆる『引きこもり』に なってしまいました。漠然とした不安感と恐怖感に襲われ、常に何かを していないと落ち着きませんでした。お菓子を作ったり、母に買って きてもらった花でアレンジメントをしたり。中学1年の秋頃からは、食事が思うように咽を通らず、同時に何も する気が起きなくなってしまいました。毎日、食事の時間が近くなると、例えようのない不安と恐怖に襲われるようになり、とうとう食事が摂れなくなりました。  

 そんな状態が しばらく続いた16歳の秋、引越しをしました。環境の変化から、私の状態は更に悪化しました。パニック状態になった私を、両親は病院へ連れて行きました。今思えば、両親の方が ずっと辛い思いをしていたことでしょう。医師からは、即入院が告げられました。診断は『摂食障害』。無理もありません、その時の私は身長155センチで体重が25キログラムにまで落ちていました。

 退院後は夢だった看護師を目指して、通院しながら大検の資格を取ってアルバイトを始めました。しかし、人間関係に悩み、今度は精神的な病で入退院を繰り返しました。私の中の『対人恐怖』は なかなか消えませんでした。そんな時、友だち づくりのサークル『ウィズ エブリワン』の仲間募集のチラシを目にしたのです。さっそく連絡を取り、参加する事にしました。初めて参加した定例会は、2003年12月の御宿ツアー。私よりも若い子がいたり、車椅子の人がいたり。初めてなのに、皆から声をかけられ、アッという間に仲良くなりました。こんな事は初めて だったので戸惑いましたが、それ以上に嬉しさの方が大きく、気づくと自分から積極的に話しかけていました。

 彼と出会ったのは、エブリワンを知ったのと同じ頃。バイト先の上司だった彼に、いじめ の状況を相談したところ「そんな事があったんだ。状況に気付いて あげられなくて ごめんね」と言ってくれました。彼は、外に出られなくなってしまった私を散歩へ連れて行ってくれたり、体調が悪くなると だまって見守ってくれました。家族以外で、こんなに私の事を考えてくれた人は初めてでした。心を開くことができた彼を、私はエブリワンのソフトボール部の練習に誘いました。彼は本当に楽しそうで、帰り道「僕達って、いろんな人の力で 生かされて いるんだね」と言いました。その言葉を聞いた時「同じような価値観 云々というのではなく、彼は私や そして出会う人達の中で共に生きて いこうとしている」と感じ、この人に ついて行こうと決めました。

 今、私には信頼できる夫、そして たくさんの友達が います。以前の私と同じような人たちに、ほんの少しの勇気を持って欲しいと思います。私が そうだったように難しいとは思いますが、人に対する見方を変えられるような出会いのおかげで、私のような ひねくれた性格でも世界が大きく変わりました。人生のパートナーを得て、新たな命まで授かることができました。

 今、悩んでいる方に、人は変わる事ができる!という希望を、自分自身で つかんで欲しいと思います。

特定非営利活動法人 ウィズ エブリワン

連絡先 eve-info@mail.goo.ne.jp

 


 

深谷みどり

 

2005年7月2日号掲載
「みんなが安心して住み続けられる町」

 臨海工業地帯の社宅団地として造成された辰巳台団地が、今大きく変わろうとしています。産業構造の変化、長い不況。社宅の跡地には、一戸建ての分譲住宅が建ちました。新しい住民も増えています。同時に、辰巳台団地を第2の故郷として当初から住民となった方々の高齢化が目立ってきました。

 私がかかわっている民生児童委員協議会の定例会では、ひとり暮らしや高齢者世帯の暮らしぶりに、多くの不安や心配が取り上げられます。一方、社宅や新しい分譲住宅で子育てをしている若い母親たちには、まわりに同じような年令の子どもがいない、相談相手や友だちがいないなどの悩みがあるようです。そもそも、地縁血縁の薄い地域、心細い思いで子育てをしている様子が目にみえるようです。

 辰巳地区ではこのような時代を迎えることを早くから予想し、昭和63年から社会福祉協議会を基盤に「地域ぐるみ福祉ネットワーク推進事業」に取り組んできました。住民のふるさとづくりへの思いは強く、町会や各団体の活動が活発に行われていたこともあって、市原市では最初の取り組みとなりました。指導者、活動拠点に恵まれ、先輩たちの背中を見ながら、私がこの活動に参加し始めて17年が経ちました。

 学校、幼稚園と連携をはかりながら青少年の健全育成に取り組む青少年部会。独居や高齢者世帯を対象に年10回会食会を開く給食部会。スポーツ、趣味、ボランティアなど様々な生きがいづくり活動を展開するシニア部会。広報部会が年3回発行する広報紙コスモスで、これらの活動を地域に伝えています。年間延べ日数は380日以上、7300人が活動しています。

 でも、ここ数年「今のままで良いのか」と、私たちは少し考え込んでしまいました。少子高齢化がすすむ中、町の変化に対応した活動へと、一歩踏み出さなければならないと考え始めたからです。平成15年度、初めてNPOの勉強会を開きました。翌年、千葉県のモデル事業『いきいき市原ふるさとづくり』に参加して「みんなが安心して住み続けられる町」をテーマに活動する中で、1年かけて模索しました。高齢者への

アンケート調査やミニタウンミーティングなどから、ボランティアだけではサポートできない部分を担う支援活動が必要だと感じました。

 そして、日常生活を住民相互で助け合う組織を新たにつくることにしました。赤ちゃんからお年寄りまで、障がいを持っている方もそうでない方も、だれもが気軽に利用できる有償サービスを提供するNPOの設立をめざして、現在準備を進めているところです。

 300人のメンバーがいるシニアクラブをはじめ、多くの地域の力を借りながら、活動していきたいと思っています。

辰巳地区生活支援推進委員会