エブリワン NPO法人記念企画
新聞記者を逆取材

 2002年11月15日

 9年間にわたってエブリワンを取材して頂き、また時には応援もしてくださる千葉日報記者の山口さん
 今回は逆取材☆ 心から感謝しています。今後とも宜しくお願いします♪

 というわけでインタビュー。

新聞記者になったきっかけは?
 中学・高校と新聞部を経験し、何となくその道にと思っていましたが、大学では弁護士を目指し、いったんは法学部(中大)に入学。しかし学園紛争の真っ只中で気持ちは揺れ動き、再び記者になりたいと思い、新聞学科に再入学。卒業して、地元紙の記者になりました。

過去の記者活動での印象
 もともと社会部志望。
 駆け出しのころの思い出は成田闘争です。携帯電話はもちろん、無線すら無かった時代、三里塚の野っぱらを駆け回り、反対派と機動隊の衝突をかいくぐりながら取材に奔走しました。ただ気持ちは常に農民の方に向いていたように思います。今でこそ風化しつつある成田闘争ですが、国家権力の強引なやり方に住民が抵抗し、世論がこれを後押しした最初の社会的なエポックではなかったかと思います。
 1966年に成田空港建設が決定、当時の農家が政府の強引な建設に対抗した出来事

 支局では銚子時代の1987年ごろに経験した まき網漁船の転覆事故。
 北西の強い風が吹く2月の早朝、港からわずか100mのところで青森県八戸市の船が沈没し、22人の乗組員のうち15人が死亡(当初は行方不明)した。通常、船の転覆事故は沖合何十、何百Kmという手の届かないようなところで起きるものですが、港から目と鼻の先。それなのに波は高く捜索は難航、引き揚げまでに1カ月以上かかり、その間、取材に追い回されました。
 結果的には「無謀な出漁」と言われましたが、「漁を仕事にする漁船員だからこそ あえて危険を承知で出港」する悲劇と難しさを痛感した取材でした。


ウイズエブリワンを取材しての印象
 市原を担当してすぐの付き合いだから9年近くになると思います。「なんと進化するグループか」が印象の第一。言葉は適切ではないかもしれませんが、いつの間にか消えてしまったり、志が変わってしまうグループが多い中、常に向上心を持って成長し続けているのは驚きだと思っています。
 もちろん、倉田君のリーダーシップもあるのでしょうが、決して行政を敵視しないで一歩一歩、前進しようとする粘りがエブリワンの活動を支えているのかな、とも思います。
 
NPO法人化について
 確かに任意団体では限界のあった行政施策への参画などを積極的に推し進めていけることなど活動範囲を広げていける利点は大きいと思います。
 さらに仲間作りを広げる意味でもいい時期に認証取得できたかな、と思います。今後も特定の政党などにとらわれず、自分たち主導で行動してください。
 これはエブリワンへのアドバイスというよりも、私自身の思いとして、何とか当たり前のようになってほしいのが、養護学校のようなものをなるべく無くして、子供のうちから一緒に遊んだり、学んだりできるような環境づくりを地方行政が先頭に立って進めてほしいと思っています。一緒に行動できればいいかなと感じています。

倉田理事長について
 ちょっと難しい質問ですね。なぜ、あんな行動力があるのか、リーダーシップが取れるのか、不思議さを感じさせる人物?。それだけ私自身、倉田君を分かり切れていない部分が多く、まだ謎を感じさせる存在かな。
 ただ最初に会ったころから比べると格段と成長しているし、人間的に幅広くなったように感じます。これからもいい付き合いをしていきたいと思っています。
       
千葉日報 山口智