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1 市原よみうり    記事
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読売新聞 折込紙 市原市内版

45000部発行

倉田知典 連載コラム

とものり Talk

題字 小出善三郎 市原市長  イラスト 鶴岡ひろし さん

ご意見、感想をぜひお寄せください。 m(__)m   tomonori.taiwa@gmail.com

2002年10月6日 で
「とものり Talk」 連載コラム 
は終了しました


とものり Talk 読者からの声(感想等)


2002.10.6号

 障碍 健常という心の枠を取り除き、互いに人として尊重し合い 楽しい交流を活動の中心とし、自立に向けて11年間 仲間たちと共に活動してきた私たちのグループ 「ウィズ エブリワン」。今年8月 多くの方々の お力添えのおかげでNPO法人となった。
 障碍者のグループは、障碍者の幸せと「権利」を社会に働きかけ、健常者は それを援助する。これが一般的な定説である。しかし障碍者に限らず 皆 心で幸せになりたいと思うのは、すべての人に共通する人生の目標である。障碍者が さまざまな権利を求めてきたことにより、近年 福祉は急速に進んできた。福祉サービスも障碍者自身で選べる時代。
 だが、サービスの産業化 また一方、ボランティアというのは その場限りの付き合いで あることも多い。互いに縦続的に心通じ合う友情は、いまだ深め合えていない。友情を育てることは 実は福祉制度を作るよりも難しい。しかし、いつまでも権利を求める 障碍者 対 サービスする側の健常者という互いの立場を きっちりと割り切った社会は実に寂しい。
 互いに相手を思いやり心から感謝することが、真の友情を育てる近道だと思う。ウィズ エブリワン の理事長として、これからも ずっと 友情を育てることを最大の目標として活動して いきたいと思っている。


2002.2.3号

 化粧は ほとんどしなく、いつもスッピン。ごく普通の素朴な顔。髪はショートカットで黒毛。冬はジャンパー、夏はTシャツ姿。いつもズボンはジーパン。靴はスニーカー。健康的で笑顔が個性的。会った時の あいさつは言葉で無く オチャメに指で 私の頬をつっついて 笑う。
 金や物より心を大切にし理屈っぽく無く、前向きに行動できて、余り先の事を考えず 今を大切にし信念を持っている。でも、私には 甘えてくれる。軽自動車でも いいからドライブ好きで高速道路も平っちゃら。遊園地より海を ながめている方が好きな自然派。
 いつもユーモアあふれる楽しい会話、でも時には人生を熱く語り合う。料理は そこそこで大満足。・・・と まぁ、勝手な ことを書きつづったが、これは私の女性の理想像。今は夢物語に過ぎないが いつか、こんな すてきな女性と出会いたい。
 でも、それには 周りの人たちの気持ちを尊重し大切にする私自身をつくらなくては。私の将来の最大の目標は仕事を持ち、すてきな 女性と平凡に暮らす ことである。


2001.8.5号

 時々 J1リーグ、ジェフユナイテッド市原の試合を市原臨海競技場へ観戦に行く。以前はバリアフリー席(車椅子)で見ていたが、ある日友人が「自由席で応援しようよ」と言ってくれた。席には背もたれが無いため長時間座る事が辛い私だが、実際に行ってみると通路が広く車椅子に座ったまま、楽に観戦できるスペースがあって不安は解消された。
 さらに、もっと大きな喜びに気付いたのである。市原臨海競技場のバリアフリー席は、一般席とは はなれた特別席となっているので、サポーターの声が遠くから聞こえてくる。一方、自由席でサポーターに混じって観戦すると、白熱した声援や時には辛口のヤジまでも身近に感じ 私自身、大声をあげて応援したくなる。
 サポーターの人は私に気軽に声をかけ「何かあったら声をかけてください」と言ってくれて、本当にありがたいと思う。特別席のこころづかいも ありがたいが、自由席で味わったサポーターの人たちとの触れ合いは、心のハーモニーを実感した。


2001.5.6号

 知り合いから聞いた話。以前老人ホームに勤めていた女性が、その後ヘルパー2級を取得、将来老人福祉施設等を設立して生かしたいという。
 ヘルパー講習を受講中、自分の知る老人ホームの現状を受講生の仲間に伝えた。職員主導で入所者を尊重していない環境に納得できない と語ったという。受講生の間で、入所者のことを真剣に考えている温かい女性だと評価が高かったそうだ。
 その後、その女性が重度肢体不自由の人たちとの交流会に参加した。参加者の多くは何度も会っているので、さしたる支障もなく会話ははずんでいる。しかし、その女性は慣れていないから うまく会話できなかったのだろう。メンバーの1人に話したという。
 「肢体不自由の人たちは会話が出来ず、能力も無く、貧乏で可愛そう。仲間にはなれないが、私のような健常者が助けてあげないと」。
 僕はそれを聞いた時、大変悲しかった。
 福祉・・・福祉…と多くの人が叫び、それを職業とする人材の育成も盛んになっている今、大切な問題だと思う。福祉の知識や技術を学ぶより、真から心温かい福祉の人材であることを願いたい。
 福祉は学ぶものでなく「互いに対等に真心で触れ合う事」と思っている。 


2001.2.4号

 二十代前半の頃、私は女性と水族館へ行きたいと思った。当時、異性の友人と二人で一日過ごす経験は まだなかった。決してテレくさい訳でもなく、むしろ年頃の私にとって行きたくて仕方がなかった。しかし、実行するには一つだけ解決しなければならない問題があり、ためらい続けていた。
 全介添を要し外出時は車椅子を利用する私は、移動や食事介添など友人にいつも快くして頂いている。しかし問題はトイレである。これは、お互いにいささか抵抗のあることだ。全く面識のない男性にトイレの介添を依頼する勇気は私自身なかった。
 色々考えた結果、一番安心できる手段に気付いた。そこの施設の男性の職員に介添依頼しようと考えた。それにも、もちろん勇気は必要だったが実行した。必ずしも快諾というわけではなかったが、ともかく介添はして頂けた。
 そんな経験以来、私は自信がつき時々異性の友人と色々な所へ出かけるようになった。近頃では、その場の職員、従業員の方に介添依頼すると快く引き受けて頂くことが多くなり、心からありがたいと思う。近頃では介添を依頼しながら、コミュニケーションが図れる喜びも感じる。
 これが、立場を超えた心のハーモニーのきっかけとなるように思う。


2000.11.5号
 施設等で暮らす自力外出困難な障碍者が作った個人ホームページを数例見た。様々な趣味を持ち活動している様子等公開している。それぞれ個性的に自分をアピールしていて楽しく見せてもらった。
 いくつものホームページで共通している表現に気が付いた。「恋人募集」である。これについての意見も載っていた。年数回、交流会で健常者と知り合っても介助ボランティアの意識で終わってしまう−という意見。
 今後ボランティアは、さらに社会に痩透するだろう。だが、介助で無く、心のふれあう友達付き合いになるのには、時間がかかりそうだ。ボランティアを「友達作りのきっかけ」と定義すれば、恋愛のバリアフリーも進むだろう。
 バリアを作る原因は障碍者側にもある。いわゆる障碍による甘えである。相手の気持ちを尊重せず一方的に交際を迫ったり、介助を愛情と誤解してしまう例も時には見られる。
 介助する側、される側の関係でなく、互いに尊重し合える社会であってほしい。このことは、恋愛に限らず、人の心の基本なのだろうから。


2000.4.30号
 時々友人と一緒に呑みに行く。五井の”天狗”を利用する。私にとって心地よく座ることの出来る椅子があるのが利用の決め目。
 私がファンの店員のお姉さんに会えるのも、楽しみのひとつかも・・・。
 両手が利かないため、酒は友人にストローで呑ませてもらう。
 酒は、心を開かせてくれる、魔法の薬だ。
 ユーモアの中に互いの人生相談やら、日頃のストレス発散の場である。
 以前、女性の友人と呑んだ時、トイレ介添えを男性店員に依頼した。店員は介添経験は無いとの事だったが、快く引き受けてくれた。
 先日、久しぶりに同店に行ったら、その店員が声をかけてくれた。「最近、顔を見なかったから、寂しかったですよ。ゆっくりしていってください」
 常連客という程でもない私に対し、店内で本当に良くしてくれる。心から感謝している。
 同店は2階でバリアフリーにはなっていないが、店員が私の手足となり支えてくれるので気持ちよく利用できる。
 互いに直接触れ合えるハート(心)のバリアフリーが最も大切であると実感した。


1999.11.7号
 友人らの協力でひとり暮らしをしていた30歳の障碍のある青年が、体調を崩して亡くなり、数日たって発見された・・・という記事を読んだ。
 幼い頃から、積極的に行動し、普通学校への通学を叶えたり、親元を離れ社会参加もしていたという。
 彼が体調を崩した原因は深酒だった。
 様々な悩みを抱え、特に次々と結婚して家庭を持つ友人たちを見ては取り残された思いにかられ、酒にまぎらしていたらしい。
 立場も年代も似ている私には、他人事と思えない。
 経済的に自立し、将来結婚もしたい・・・と、夢は持っていても、未だ定職はない。
 今、交際している女性がいるが、結婚を口にした時、彼女の両親に許してもらえる自信はない。   彼女に青年の記事を見せたら「もし私と交際していなかったら、トモはどんなこと考えて生きてきたの・・・」とつぶやいた。
 青年の気持ちはよく分かる。しかし、例え恋人がいなくても、別の幸せを見つけているはずだと思いたい。
 幸せは、どんな立場であろうとも、心がけひとつで得られるのだと思う。
 彼女との交際が今後どうなっていくのか・・・自分だけで決められないもどかしさ。
 しかし、将来どんな関係になろうとも、今を大切に出会ったときのように良き友人でありつづけたい。


1999.8.1号
 車椅子生活をしている私は、自力での外出が困難なため、仲間に会いに行けない日もある。
 こんなときは、交通機関や、さまざまな施設の段差がうらめしく思える。健常者の人は、多分段差があることさえ意識していないと思うけれど・・・。
 2年前から、インターネットを始めた。この世界はまさにバリアフリーだ。
 たくさんの情報があるだけでなく、多くの人との出会いがあり、全国の人とリアルタイムで会話も楽しめる。これまでは、福祉関係の方との出会いが多かった私だが、Eメールを使い一般の学生、フリーター、OL、記者等様々な分野の方と毎日会話している。
 メールをやり取りしていると次第に心が通い合ってくるのを感じる。ネット上にバリアは存在しない。
 ネットで知り合った方と直接会った時、初対面だという気が全くせず、旧友と出会ったような、なつかしさを覚えたことがあった。
 心と心の対話から出発した結果だと思う。
 心の壁を取り除きそれぞれの個性を出し合える心の社会<インターネット>は私の世界を大きく広げてくれる。


1999.5.2号
 早春梅の花を見たくてKさんの協力を得て小高い丘の梅林に出かけた。途中まではアスファルトで車椅子で楽に進めたが、アスファルトが消え道も細く急な坂道になった。あと少しで頂上に着く。丘の上からうぐいすの声が聞こえたように思えた。
 デコボコ道での車椅子はただのお荷物。普段自力走行はほとんどしていない私だが、kさんを余り疲れさせないでなんとか頂上まで行ってみたいと思った。途中でヘコタレたら・・・と不安もあったが、梅の香りが私を励ましてくれていた。
 「車椅子でなく頂上まで歩く」という私を、Kさんはひどく心配そうに見た。「手で軽く僕の体を支えて・・・」とたのみ、Kさんと共に歩き始めた。途中で休みながら約300m先の頂上に無事たどり着いた。
 ピンク一色の梅林、その向こうに夕陽の当たった山々が美しかった。
 kさんと一緒にきれいな景色を見て共感したかった。体中汗だく、足腰も痛かったけれど、来てよかった。
 kさんは私の姿に感動し「ここまで一緒に来てくれてありがとう」と笑顔で話してくれた。
 30歳まであと1年。今年はさらに心身ともに力をつけ自力でできる事を増やしていこうと、梅の花に誓った。


1999.2.7号
 ある日、サークルの会合のため駅で友人のAさんと待ち合わせた。私は外出する際車椅子を使用する。その日は、Aさんと駅員さらに居合わせた方に声をかけ、介添協力をして頂いての電車利用だった。
 改札口に入ろうとした時、長いチャパツでスラリとした今風の女性が「Aさん!」と声をかけてきた。Aさんの知り合いらしい。
 「Aさん、きょうはどこいくの?へぇーボランティアなんだ。えらいね」と言うと、私にも会釈をし去って行った。
 その後、Aさんがつぶやいた。「ボランティアって何でエライの?」
 私は改めて感じた。やはり社会の多くの人はボランティアを<一歩的な手助け>だと認識している。そこに<エライ>という思いが生まれてくるのではないか。ボランティアは、一方的に与えようとする手助けより気軽な雰囲気の中で互いに知り合える<友達づくりの場>であり、その中でのささやかな<支援>が互いの理解を生む――と私は考えている。


1998.11.8
 障碍(害)者と健常者の共生と友達づくり等を目標に、市原ウィズエブリワン会長として、7年間皆様に支えて頂き、深い感謝の気持ちで活動を続けている。
 全介添を要する障碍を持つ私、それがゆえに公私共々様々な出来事に出会い、それらはすべて貴重な経験となっている。それらの経験を通しての思いをつづってみたいと思う。
 私は最近になり、福祉関係、福祉関連医療・教育機関団体等より、講師として招いて頂けるようになった。その席上、ボランティアとして、あるいは職業として福祉に携わる方々へ『福祉』について尋ねてみると、大半の方から『手助け』というニュアンスの回答を得る。その都度、一抹のさびしさを感じてしまう。
 健常者もやがては高齢化や病気等で障碍となる。その時に、本当に『手助け』で満足出来るのであろうか。心の支えとなる継続的仲間友達を得ることで、心から身体への潤いとなり、障碍に負けない活き活きとした人生を送れるのではないかと考える。
 心の足りない時代といわれるが、福祉を通して、お互いに良い影響を与え合える関係でありたいと、いつも願っている。





シティライフ 市原版
(読売・朝日・毎日新聞 折込誌 市原市全域と千葉市・袖ヶ浦市の一部 毎週土曜)

85800部発行

みんなで生きる

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No.64
 特定非営利活動法人 
 ウィズ エブリワン
理事長 倉田知典(32)

 
2002.9.7 掲載
『♪ 人情あふれる絆を結ぼう ♪』

 私は、全介添えを要す肢体不自由です。
 いつも多くの方の心を笑顔にしたいと夢を持ちつつ、年頃の私、一方では恋人が出来ないのが悩みです。ハイ(苦笑)。
 発足11年目。おかげさまで エブリワンは NPO 法人となり、皆様には心より感謝しています。
 私の活動の一つとして、県内外の福祉系の関係機関、大学等にて講師活動をさせて いただいてます。11年の間に時代は変化し、福祉も向上していると肌で感じます。
 聴講生の感想は「就職する前に通っていた福祉大学でも障碍者の講師を招いていたが、よく聞く話は障碍者権利は あたり前 ということだった。でも、倉田さんの話は多くの人の心を わかりたいということ。その発想に感動した」
 「ボランティアをしている。これまで、障碍者と仲間として ふれて来たつもりだったが、今回 倉田さんの話を聞いて、個人的に本音で話せる友達がいない ことに気付いた。今までは自己満足だと思った」というものが多いのです。
 物理的な ものは向上しても、大切な人々の『心の絆』は深めあえていないと私は思います。最近は、健常者同士でも真の友達が出来ないと悩んでいる人が多いようです。福祉サービスが増える反面、割り切った付きあいしか できない環境になりつつあると感じます。『心の絆』を結ぶ場が減ることは、人情と人間らしさを失うこと。タマシイの ない社会は寂しい限りです。
 今回 エブリワンは NPO 法人になりましたが、法人というと公的サービスを提供する会として考えられがちです。エブリワンではサービスも無ければ、人々全ての立場、ジャンル、枠もありません。個性ある友達作りの場『心のハーモニー』を奏でることを目的とした会です。
 今後 エブリワンと みなさんの交流は、さらに盛んに なることでしょう。講師活動においても「学ぶ」で無く、楽しく語りあう『心の絆』の輪を広げる きっかけにしたいと思っています。
 真の自立は『心の絆』を結びあうことだと思います。互いの良いところを自然に見ることができ、感謝しあい、相手の足りぬ ところを補いあう。そんな輪が広がれば、自身の良い個性が発揮できてステキな社会になります。
 「見えるものより 見えないもの(心)を感じ、信じあって いきたい」。全ての人々が友達となり、『心の絆』が満ちあふれるようにしたい。
 それが、私の願いです。


 

 

   
 

 


市原ウィズエブリワン
会長 倉田知典 (31)

2001.3.3 掲載
『バリアは自身の思い込みに過ぎない』

 みなさんは障碍(しょうがい)者と健常者の境は何処にあると思いますか ? 
 先日福祉専門学校に通う友人が『障碍者と健常者との恋愛・結婚』というテーマで卒論を書きました。その中で、ふたりが付き合う点で難しいのは交通機関や家族の反対というバリアであるというのです。周りの条件(バリア)ばかりにとらわれ、そのような環境の中でどうしたら良いかについては、全く触れていませんでした。私は大変残念に感じました。
 重度肢体不自由の私には、以前恋人がいました。私たちふたりが付き合う中でバリアは存在しませんでした。交通機関を利用するときは、駅員や市民のみなさんが私の介添えに協力してくださり、バリアは克服できました。ふたりで色々な所にも出かけました。頭で思うバリア(不安)は、工夫(行動)することで解消されていきました。そして私たちは、周囲のみなさんの協力に深い感謝と喜びを感じました。良い思い出です。
 いくら健常者であろうと、時速数百キロで走ることは出来ません。人は時間的バリアを無くすため、新幹線に乗ります。同様に歩けぬ人は車椅子に乗ります。不便の内容は人により違いますが、その不便を補い合う工夫をそれぞれがしているという点では同じです。そう考えると障碍、健常、ボランティアという区別も不必要です。皆『仲間』で良いのではないでしょうか。私は、バリアは個々の心の物差しに過ぎないと思います。
 “心のバリアフリー”という言葉にも、最近疑問を持っています。人にはそれぞれ個性があり、考え方も違います。それは個々の心の物差しが違うということ。そこには短所、長所が存在し、真の短所(バリア)はそう簡単には変えられません。バリアを無くすより、互いの長所を見続けることが真の人としての尊重であり、最大の調和の近道ではないでしょうか。“心のハーモニー”という言葉の方がふさわしいと私は思います。
 エブリワンの活動は今年の6月で10周年を迎えます。支えて頂いている全てのみなさんに心より感謝します。「みんなで生きる」も、今年で3年目となりました。多くの読者の方から声を掛けて頂き、学校で福祉教育の教材として使われたとも聞きました。みなさんと真の仲間になれるきっかけとして、これからも続けたいと思います。
 21世紀は始まったばかり。ずっと一緒にいてくれるステキな彼女が現れることも私の大きな目標です。


市原ウィズエブリワン会長
倉田知典(29)
2000.1.1 掲載
『真のバリアフリーは対話から』

 昨年11月、私は加茂中学校の教育講演会で全校生徒をはじめ、教員、父母等350人の前で1時間半、講演させていただきました。私が各地で行っている講演会では、いつも皆さんに気軽に聞いていただきたい、ありのままの自分を見てほしいと思いユーモアをモットーに語らせていただいています。
 8ヶ月の未熟児で生まれたため、私は肢体不自由となりました。現在多少の独歩は可能ですが、食事、トイレ、着替え、移動に介添えが必要です。これまで多くの皆さんの支えにより私は生かされて来ました。一番感謝しているのは、日々の生活を最も支援してくれた両親です。外出も満足にできず、限られた世界で生きてきた私にとって地域に友達はいませんでした。養護学校卒業後は、足でパソコンを操作して多少の創作活動をしていましたが、家で一人ぼっち。数ヶ月に1度というボランティアとの交流にも疑問を感じていました。『いつでも気軽に会えるボランティアを超えた友達がほしい』という思いから誕生したのです。
 活動も8年目。JR駅に車イス利用者対応のエスカレーターが設置されるなど、市原でも建造物のバリアフリー化が徐々に進められています。地域社会全体のバリアを無くしていくために、まず基本になるのはいったい何かと、最近改めて深く考えます。交通機関など、物理的なバリアフリーも大切ですが、私は健常者と障碍者の対話の輪を広げ、接点(趣味や共通の話題)を見つけ合い、日常で個人の付き合いができる『こころのバリアフリー』が最も大事だと思うのです。事故、病気、高齢化、だれだって何時障碍者になるかもしれません。でも、そうなったとしても自身の心がけと多くの仲間で幸せになれます。
 これまで私も多くの友人と、交流してきました。カラオケ、呑み会、旅行、時には朝帰り。恋愛もしています。私は今幸せです。今後も感謝の心で、多くの人たちとふれあって生きていきたい。障碍者への理解ではなく、お互いが対等に心から理解するチャンスとして、講演会という仕事の場を大切にし、自立していきたいと希望しています。


市原ウィズエブリワン会長
倉田知典(29)
1999.1.1 掲載
『ともだち募集中』

 僕は8ヶ月の未熟児で生まれたため、全面介助を必要とする重度の肢体不自由となりました。6才ごろまでは座ることも出来ず寝たきりの状態でした。僕には1つ上の兄がいますが、当時はテレビゲームの時代ではなく、小さい頃からよく外で遊んでいました。兄の友達が家に遊びに来て賑やかな時はいいのですが、いっせいに外に出て行った時などは「どうして僕は外に出られないの」と、親を困らせたものでした。幼い頃からいつも兄がうらやましくてなりませんでしたが、僕が本当に外に出たいと思ったのは高校を卒業してからでした。
 小学校から高校まで通った千葉県立袖ケ浦養護学校の中でも僕は重度の方でした。卒業後は中学校からやっていたパソコンを活かして何かしたいと思っていたのですが、働く機会も場所も近所にはなく、何をやったら良いのか分からない状況でした。そんな時、以前行った千葉市の福祉作業所で見たタイプアートのことを思い出し、絵を描いてみようとコンピューター・グラフィックスを始めたのです。たまたま最初に出した絵が賞を頂いた事もあって、絵は少しずつ続けています。
 今は多少の歩行も可能になり、仲間と色々な所に外出するようになりましたが、障害者同士・健常者同士のつながりはあっても、障害者と健常者のつながりは少ないように思います。福祉といっても現場はわからないまま、健常者同士だけで話し合うものになってはいないでしょうか。”障害者とはこうなんだ”と、決めてはいないでしょうか。言い方は変だけど、僕は実験台になってもいいと思っています。例えば高校・大学の福祉教育を学ぶ場では、机上だけでなく僕らを呼んで欲しいのです。もっとこちら側の意見を学生に聞いて頂き、本当の現場を知ってもらう事が大切だと思うのです。僕らもそんな形で役に立てたら、大変うれしいのです。何も福祉作業所だけが僕たちに与えられた仕事ではないと思うのです。(就職模索中)
 僕は年に何回か行政等が主催するイベントに参加しますが、ボランティアの方々との交流もその日だけで終わってしまう場合がほとんどです。ボランティアの話を聞くと『あくまでも障害者の手助け』という意識でした。でも僕らが本当に欲しいのは友達です。平成3年、僕が発起人となって出来たグループ”市原ウィズエブリワン”は障害者、健常者の区別なく友達作りを目的とした交流会です。今は輪も広がり、メンバーは110人。うち障害者は3割です。先日は電車を利用して1泊旅行にも出かけてきました。障害者の中にはそういった事を経験出来ない人がたくさんいます。また、施設の中にいると外の世界もわかりません。送迎の問題等、手助けがないとそのチャンスさえもないのです。




ご意見、感想をぜひお寄せください。 m(__)m   tomonori.taiwa@gmail.com

タウン誌『KIRACO』 
 (千葉県習志野市 中心 6000部発行)  2002年1月号

「区別は個々の心の物差しによって生じてしまうに過ぎない」 
ウィズ エブリワン会長 倉田知典 

 私がタウン誌『KIRACO』を知ったのは、習志野市役所主催のガイドヘルパー養成講座へ ウィズ エブリワン会長 として講師で招かれたのが きっかけです。そこで いわゆるボランティアされる側の御意見を ぜひ書いてください と きらこ さんに言われました。
 『KIRACO』のバックナンバーを読ませて頂いたのですが、そもそも私は「ボランティア」とか「バリアフリー」とか いう言葉に普段から疑問を感じております。皆さんは「ボランティア」って何だと思いますか・・。ボランティアの基本的な意味は、非営利で他人を援助し また自己実現も果たすということなのです。 
 例えば、健常者同士で気の合う仲間が 5〜6人で旅行に行くとしましょう。そうしますと企画をする人が居て幹事みたいなことをしますよね。また旅費を管理等される係の方も居ると思います。そのことは ごく自然な行動であり、普通それはボランティアとは言いませんよね。けれど何故、障碍者や高齢者等と接する時は、一般的に健常者はボランティアって言うのでしょうか・・。ボランティアという言葉によって、お互いに心の壁を かえって作ってしまうようにも私は思うのです。もしもボランティアの考え方に どっぷり はまるようでしたら、その人自身が見えない心の障碍を持った人だと私は考えます。 
 今 小・中・高校等において ボランティア体験学習と言って障碍者施設等に行く機会が増えて来ましたが、生徒達に何を教えたら良いのか・・・と、教員は迷っているようです。しかし学習(学問)ではないんですよね。「心と心の交流」なのに「学問」として とらえている学校教育にも疑問を持っています。また近年、福祉の専門学校・大学等が沢山出来て そこで勉強する人も増えています。けれど そこでは「障碍者の立場になってサービスを提供しましょう」等と教えています。それって障碍者の心を甘やかすことに繋がる恐れもあると思うのです。 
 以前、一週間程 私は身体障碍者施設に入所させて頂いたことがあります。食事やその他の色々な介添えをして頂く中で「ありがとうございます」と、感謝を込めて介護職員に挨拶させて頂いたのです。それは人として当たり前のことですよね。そうすると 職員は こう言われました「私達は仕事でやっているんだから、いちいち ありがとう 何て言わないでください」。さらに「尽くしてあげるから何でも言ってね」。これって優しとは思いますけど、とても こわい話しです。気付かぬうちに感謝の気持ちを忘れて行き、障碍者だから やってもらって あたり前 という心になってしまうのかもしれません。人が生きて行く上で周りに感謝して行くことが最大の基本です。感謝の気持ちが無くなっては、真の自立もあり得ないと思います。 
 サービスを提供するのが現実の福祉何です。サービスにはマニュアルがあるわけです。学習や学問はマニュアルです。人と人の心の交流が大切なことなのに、人の心にマニュアルはありません。ボランティア・福祉・教育等は達成するものではなく、人の心と心を結ぶ あくまでも手段に過ぎないのです。教育の現場で行われているのは、あくまでも学習何です。「学習」ではなく「交流会」を持つ方が望ましいと私は思います。交流会を通じて 真でお互いに心でわかりあえる関係になれると思うのです。 
 私は「ウィズ エブリワン」の活動を10年前に始めました。障碍を持つ人と持たない人という枠を取り、互いに個性ある人として尊重し、楽しみ支え合い、継続的な仲間等作りを進めると同時に、福祉等に関する問題点を市民等と共に皆で考え行動し、自立と住み良い街作り活動を行っています。「ボランティア」ではなく「心のハーモニー」社会を目指し、「ウィズ エブリワン」は2002年中には 特定非営利活動法人(NPO)化して行く予定です。  
 平等ということや障碍者等の権利という理念はあっても、一番大切な足元である義務(お互いに感謝し合い尊重し合う心の実践)を行っていない部分も沢山あるように思います。例えば障碍者の中にも人的支援だけを要求する割り切った付き合いをする人も居ます。その他においても要求の強い人が居ます。そんな人に対して健常者は「やってあげる」。また本質的な理念は同じであっても、お互いに目的が少し違うだけで個人や他団体等に対し排他的に言う人も居ます。そのような お互いに対立心に導くような関係では、真の心の交流は存在しませんし、理念は何時まで たっても掛け声だけで終わってしまいます。 
 私は障碍、健常、ボランティア等という区別は不必要だと思います。区別は いわば「個々の心の物差しによって生じてしまうに過ぎない」と思うからです。お互いに相手の欠点(区別する)を見るのではなく、お互いの長所を見続けることが大切です。 
 私の考える区別の無い真の理想社会とは、理念(学問的に)を熱く難しく皆で語る事よりも、「自らが足元から相手のこと、周りのことをお互いに心から感謝出来、尊重し合い、思い合うことの出来る 実践社会」です。それが「心のハーモニー」です。 
 私は毎月1〜2回程度、千葉県内外の関係機関・福祉系団体・福祉系大学・福祉系企業等で講師の仕事をさせて頂いてます。何時も「心のハーモニー」の話しを講演会の仕事でさせて頂くと、受講生の皆さんは驚かれ、心に残る良い話しであると共感してくださいます。健常者とか障碍者とか片寄った見方をせずに、お互いが心で相手の気持ちを尊重して行くことが大切という私の話しが、一番良いと御感想を頂きます。私は それに何時も感謝しています。 
 今後とも全ての人々の心の区別を少しでも無くして行けるように、私自身さらに感謝の気持ちで足元から実践出来る自分になって行きたいと思います。

その他 その他2


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